【 日本 】JICA中部国際センター所長 鈴木 康次郎(すずき やすじろう)

関係する日本人

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日本にて

高校までずっとパイロットになろうと思っていた。高いところが好きで、小さい頃から空を飛びたいという単純な発想であった。しかし高校2年の頃、真面目に職業としてのパイロットを考えてみた。決まったルートを沢山のお客さんを乗せて安全に運ぶために飛ぶ、何か違うなと思った。自分はただ空を飛びたいだけであった。

その後、エンジニアになると決め、工学部に入学し、大学院までエネルギー工学を学んだ。自分がやっていたのは代替エネルギーであり、自然エネルギー、再生エネルギーの分野であった。学べば学ぶほど自分が生きている間、日本では石油重視、原子力重視であり、実際にそれらが導入される時代はまだ遠い未来だと見えてしまった。そして、エネルギー、資源、食糧などの輸出国である途上国に、先進国は依存していることが見えてきた。そのため、途上国と関わる方が面白いんじゃないかと感じた。そう気付いたある日、協力隊へ応募した。1982年、大学院卒業後には理数科教師として西アフリカのリベリアに2年間赴任することとなった。

リベリアは自分が抱いていたアフリカのイメージとは全然違うところであった。良い意味での刺激であり、経験となった。その経験から、今後も途上国と積極的に関わっていければと思うようになった。

1984年、リベリアから戻るとすぐに、JICAの社会人採用試験を受けた。運良く採用されJICA本部に入り、鉱工業分野を中心に様々な案件管理を担当することとなった。JICAの場合、通常10年間で2~3年は海外勤務が普通であった。海外勤務の場合、希望は出せるが、自分で好きな国を選べるわけではなかった。JICAに入り7年が経過し、未だ海外勤務がなかったため、JICA内の海外留学試験に応募した。そして、1991年から2年間アメリカの大学で国際開発行政学を学ぶことができた。

帰国後、再度本部勤務をしていたが、1999年からはスリランカにJICA事務所次長として3年間赴任。2003年の帰国後は、調達、人材養成などマネジメント業務を行うことが多くなっていった。

 

カンボジア赴任と、そこにある課題
スリランカとカンボジアの違い

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

今後のカンボジアと自分の挑戦

カンボジアは、残念ながら援助依存度がまだまだ高く、未だに国家予算の30から40パーセントは海外からの援助です。ドナー機関であるJICAとしては、そこをどうやって独り立ちさせるかと言うことを考えないといけません。

自分にとって、カンボジアでの3年半の仕事はとても充実したものでした。情熱を持ってカンボジアで活動している人たちを始め、その他の様々な人たちと出会えたことは本当に良かった。そのお陰で、カンボジアの関係者とのネットワークや友人関係を築くことができました。ただ、それを本当の意味で活かすためには、少なくとも、もう2年ぐらいカンボジアで仕事を続けられれば良かったなと思っています。

今後はJICAが支援し、成功したカンボジアのプロジェクトを日本の人達に紹介していきたいと思っています。ODAと言うとなんとなく良いイメージを持っていない人が多いですが、一つ一つのプロジェクトを見ると本当に素晴らしいものが多く、それらの紹介を通じて、もっともっと本当のODA、日本の国際協力を知ってほしいと思っています。

 


 

 

鈴木 康次郎(すずき やすじろう)

出身: 宮城県

学歴: 室蘭工業大学大学院エネルギー工学専攻、ピッツバーグ大学国際開発行政大学院

職業・業種: JICA中部国際センター所長

座右の銘: 質実剛健

趣味: 読書、映画鑑賞

カンボジア歴: 1994年初訪問、2009年より3年半滞在、現在は日本在住

ウェブサイト: http://www.jica.go.jp/chubu/

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