【プノンペン】フォーバルカンボジア代表取締役社長 神山 英生 (こうやま ひでお)

関係する日本人

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日本で

高校を卒業して4年間、一般企業で経理の仕事をやっていた。しかし、高卒入社した自分の将来をこの会社に当てはめてシュミレーションしてみると、たぶん30歳ぐらいで係長になり、それから先を含めて、想定される給与を計算すると、自分の将来が見えてしまった。もう少し稼げる仕事、そして自分を試せる仕事にチャレンジしたいと考え出した。

1987年、現在の会社に入社し、首都圏でOA機器の販売営業をやることになった。社員数は三百人程度の企業、学歴は関係なく、きちんと結果を出せる者はきちんとした給与とポジションを約束してくれる会社であった。6年後には、実績を認められ営業所長に昇格した。

入社から10年が経つ頃、合弁会社に取締役として出向することになった。社員50~60人の規模の会社で、営業部門はもちろん、人事や経理なども含めた会社経営を経験した。2001年からは、代理店管理部門の事業部長となった。ビジネスパートナー候補となる企業を開拓する事業部であり、代理店管理運営を主に行うことになった。それまではお客様への直販が主であり、お客様のことを考えて売るというスタンスであったが、代理店を通しての販売、代理店の経営や利益をも考えたビジネスへとスタンスが切り替わった。他社に売ってもらうことの難しさを経験した。商品を購入する企業と、販売してくれる代理店、そして自社、それら三方全てにメリットがあるように考えた。時間をかけ、パートナー網の礎を構築していった。また、子会社戦略、業界初のIP電話なども扱い、世の中に自分たちしか持っていないサービスが売りであった。

それから4年後、仕事は物売りからコト売りに変化した。それまで電話設備、ファックスやコピー機など、OA機器の販売を主としていたが、ITを活用することによって売上の拡大や経費を削減することを考え、各企業に対し提案する情報通信コンサルタント業務にシフトしていった。

業界初の試みであり、ある意味ゼロからのスタートで試行錯誤の連続であった。取引先を何度も訪問し、回数を重ねることで、だんだんと経営者の本音を聞くことができるようになった。ホームページを持っていない企業が多い時代。持っていたとしてもその多くは満足しておらず、物が売れない、アクセス数が伸びない、SEO対策はどうすればいいのかなど相談されることも多かった。そこでウェブサイト制作会社と提携し、新しくウェブアドバイザーズ事業を立ち上げた。それが会社の新しい事業となり、ウェブ制作から運営までを行うことになっていった。そして2007年、首都圏第一支社を支社長としてそれらを任されることになった。

 

カンボジアに赴任。自分たちのやるべき仕事
カンボジアでの仕事。カンボジアと日本の違い

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

今後のカンボジアと自分の挑戦

自分自身、会社の命令でカンボジアに赴任してきたのですが、本当に来て良かったと思います。同じ境遇の人には是非チャレンジしてもらいたいですし、自ら海外志向で出てきた人には、現地での挑戦は腹くくってやってもらいたいなと思っています。

日本で上手くいかないから、カンボジアでなら上手くいくという考えは、まず失敗すると思います。事業に対する志があり、しっかりとした事業計画を立て、資金を確保していても、事業の立ち上げは実際やってみないと分からない。ただ言えることは社会性を考え、独自性のある事業であれば挑戦する価値はあり、成功する確率も高いということです。

近年、東南アジアのニュースや話題が、新聞やメディアなどでも多く取り上げられるようになりました。将来的な可能性も高く、そんな時にカンボジアで仕事ができるのは良かったと思います。

また、カンボジアではグループ合計で百五十人ほど社員がいます。当社グループは「社員は家族」と考えています。みんなで仲良く、時には厳しく、お互い助け合いながら仕事ができていることが良いなと思っています。今後も社会価値を創出し事業継続できる集団でありたいと考えています。

 


 

神山 英生 (こうやま ひでお) 

出身: 埼玉県

学歴: 城西大学付属城西高等学校(池袋)

職業・業種: フォーバルカンボジア代表取締役社長

座右の銘:誠実

趣味: ゴルフ、読書

カンボジア歴: 2010年より在住

ウェブサイト: http://www.forval-cambodia.com/

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