【シェムリアップ】エフサンツーリストカンボジア代表、チャイマッサージ経営、横浜バー経営 狐塚 芳明(こづか よしあき)

関係する日本人

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世界一周バックパッカーから初めての就職

今でこそ大学休学と聞くと、「はい、そうですか」という感ではあるが、1995年頃の休学と言えば何か問題があるのかと考えられていた時代である。当時、世界一周を志し、大学を1年間休学してバックパッカーとして旅行を開始した。まずはタイへと入国、そして2ヵ国目がカンボジア、そこでいきなり世界一周の旅は終了した。

カンボジア到着早々、カンボジア人女性と恋に落ちてしまったのである。まだ20歳そこらでプノンペンで日本語教師をしながら交際をスタートした。そんな日々を過ごしているうちにあっという間の1年が経ち、大学に復学。卒業した1997年、再びカンボジアに戻ってきた。その時に就職し、今も働いている会社が、現在社長を務める旅行会社であった。

初任給は基本給で千ドル、日本人社員は自分を含めて2人在籍していた。当時のカンボジアでの千ドルと言えば、かなり裕福な生活がおくれていた時代である。しかし、その年の7月5日、プノンペンではフンシンペック党と人民党の間で武力衝突が起こった。その影響を受け、日本からの観光客は激減した。

会社自体の収益が減っていることは如実に給与に現れた。千ドルだった給与はだんだんと下がっていき、五百ドルになったかと思うと、いつの間にか百ドルになってしまっていた。日本から持ってきたなけなしの30万円を少しずつ切り崩しながら生活をしていく。親からは半分勘当されていることもあり頼りたくはなかった。僅かだが訪れる日本人観光客向けに、ガイドをやりながら家計のやりくりをする、それでも多くて月収三百ドルから四百ドル、日本人とカンボジア人の家族ではギリギリの生活であった。こんな生活を2001年まで約4年間続けていた。

 

今にも沈みそうなボートでシェムリアップに移住
本職の旅行業をきっちりやりつつ、趣味も満喫。アンコール日本人会発足

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

今後の挑戦と、カンボジアライフ

昔のモットーは「なんでもやってやろう」でしたが、今はそれに「人生は短く一度きり」をつけました。意味は、そのまんまですが、だからこそ真面目に人生を楽しもうという事です。

一番恐れていることは、自分自身が気づかないうちに、古い人間になってしまうことです。もちろん歳をとるという意味ではなく、時代に追いつけていない人間になっていくという事です。ビジネスでも他の面でも全ての面において。そう言えばあんな人いたねと言われるような、「生きた化石」みたいな人間にはなりたくないと思ってます。

将来的には海外に目を向けてインドで旅行会社、ハワイでマッサージ店をやりたいですね。とは言え、カンボジアの方でもやりたい事がたくさんあって、まずは観光業に付随することを固めていきたい。そして観光業以外にも、農業、工業的(製造業、工場)なものが成長しているのでこういう面でも何か携わりたいと思ってます。

プライベートでは奥さんと子供と、片田舎の高床式住居みたいな場所でのんびりと暮らしたいな、なんて思っています。

この国はカンボジア人との接し方を間違わず、人として、会社としてやり方さえ間違わなければすごく良い国です。

 


 

 

狐塚 芳明  (こづか よしあき) 

出身: 東京都

学歴: 獨協大学外国語学部卒業

職業・業種: エフサンツーリストカンボジア代表、チャイマッサージ経営、横浜バー経営

座右の銘: がんばりすぎず手を抜かない

趣味: ギター、オールドベンツ、酒

カンボジア歴: 1995年より在住

ウェブサイト: http://yokohamabar.blogspot.com / http://www.chaiangkor.net/

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