【みーすけ日記】vol.62 地雷を処理する仕事。

みーすけ日記

スオスダイ!みーすけです!
少し間が空いてしまいましたが、先日滞在したタサエンの続きです。

 

朝起きると笑顔で高山さんが「おはよう」と声をかけてくれました。「朝ごはんにしよう」というとハウスキーパーさんがテーブルに朝食を出してくれます。タサエンのご飯は相も変わらず、美味しい。

ご飯を食べ終わり、外へ行くと本日お世話になるデマイナーの皆さまが並んでいました。

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地雷を処理する仕事。
一体どんな気持ちなんだろう。それぞれ理由はある。生活のため、家族のため、お金のため。進んでやりたい仕事なのだろうか。怖くないのか。自分の仕事をどう思っているのだろうか。

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朝礼が始り、現場が引き締まる。
いつもの風景なのかもしれない。でも地雷を取り扱う現場というものは、やはりピリピリする。

朝礼が終わるとみんな笑顔で高山さんと話している。高山さんに向けて安心して接している。地雷撤去に安心という言葉が存在するのだろうか。ここまで信頼をされている高山さんは一体どんな風に、どんな活動をしてきたのだろうか。

 

滞在先から車で数十分のところに地雷撤去の山があった。

通常は2時間程度車を走らせた平地で処理を行うが、この日は時間のない私たちのためにこの山で爆破が決行された。
現場に到着すると、まず防護服とヘルメットを着用させられた。実際危険が及ばない場所まで避難をしてから爆破を行うのだが、防護服の着用は必ず行う。想定外に爆破の破片が飛んできてしまう場合もある。あらゆる想定に向けて防護服を纏う。

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着用後、爆破現場に向かう。

まだ「生きている」地雷だ。

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これらに導火線をつけ、爆破させる。1mほど近くまで見ることができる。今回は対人用2つ、対戦車用1つ。

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高山さんは一つ一つ説明をする。どんな風に爆破して処理をするのか、どんな被害をもたらすのか、どこで作られた地雷なのか、使いやすい地雷なのか、どんな風に使われてきた種類なのか。

殺人兵器は、こんなにも多くの種類がある。

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地雷。地雷。地雷。

戦争は必要悪だという人もいるけれど、その必要悪が遺す爪痕は決して人の感情に触れないまま終わることはない。その感情を少しでも負の感情にしないため、今、地雷処理が行なわれている。

「皆さんが遠く、安全な場所まで避難してから警報を流し、導火線に火をつけます。導火線に火をつけてからおよそ3分で爆破されます。」

高山さんの説明の後、私たちは爆破現場から移動した。
山なので爆破現場が見にくい位置のせいか、緊張感が薄れていく。その場でいたメンバーと軽く雑談をし、爆破を待つ。

 

警報が鳴り響く。

 

しばらくして高山さんが避難場所まで降りてきた。
「導火線に火をつけて走って逃げられなくなったら引退かな。」
なんて笑いながら話していたけれど、既に70近い高山さんを突き動かしているものはなんなのだろうか。

 

パン!

パン!バン!!!

急に爆発音が連続して鳴り響く。

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(写真では分かりにくいですが、中央に大きな煙が上がっています)

 

一瞬のことでした。

写真では伝えることができませんが、その爆発の速さ。

 

漫画やアニメ、映画を幼い頃から見てきた私たちは、何か勘違いしていると思います。その時ラッキーで怪我をせずに済む。魔法でその爆発を防ぐ。硬い装備によって守られた。

現実はそんなことありえずに、足が吹っ飛ぶだけです。

リアル。リアル。リアル。

想像ってたくましいもので、自分には被害が及ばないものだと思っていたりします。確かに良い装備をつけていたら助かるかもしれませんが、畑仕事していてそんな装備つけている人いないですよね。あんな速さで爆発されたらどこにも逃げられない。本当に地雷を踏んだらサヨウナラ。

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爆破された欠片、残骸を見させてもらいましたが、こんなものが爆風で自分の体に当たったら単純な怪我で済むわけがありません。

 

 

最後は皆さんと記念撮影。

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この仕事を知らない人はたくさんいると思います。でも、今でも戦い続けている人がいることを、なんとなくではなくリアルに知ってほしい。

タサエンではそんな人をスタディツアーとして受け入れています。

 

最後に印象的な話を一つ。

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爆破の後、地雷被害に遭ってしまった人の家を最後に訪問しました。彼は太ももから片足を無くしてしまっていました。

「戦争でたくさんの同僚が死んだ。けれども、僕はこうして結婚もして子供もして、仕事もできる。とても幸せなことだ。」

彼は以前スタディツアーにきた学生にそう話したそうです。
幸せ。わたしたちの幸せってなんなんでしょう。

被害に遭いながらも「幸せ」と語れる。きっと私はそんな風に言えないだろうな。

 

1泊2日という短い期間のタサエン滞在は地雷に対して客観的に見ていた自分に大きな衝撃を与えてくれました。これからもタサエンの地雷撤去の活動は続きます。

 

今、私がここで書いたブログによって、少しでも興味を持ってくれた人がいたら幸いです。
みーすけでした。

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