上智大学 | くろまる情報局 https://kuromaru.asia カンボジア旅行にお役立ちの情報満載! Sat, 23 Oct 2021 06:44:44 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.7.11 https://kuromaru.asia/wp-content/uploads/2021/06/66c19942ab4ba346fdb64ccc04cde373-100x100.jpg 上智大学 | くろまる情報局 https://kuromaru.asia 32 32 【住めばカンボジア】三輪 悟さん(後編) https://kuromaru.asia/article/liveincambodia/satoru_miwa_2/ Sat, 23 Oct 2021 23:00:43 +0000 https://kuromaru.asia/?p=21704   自然と対峙しない思想・ある程度流れに身を任せる考え方が「面白い」と思えるのです。 【上智大学アジア人材養成研究センター/特任助教・アンコール・ワット修復工事所長】 カンボジアでの生活はどうですか? カンボジ […]

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自然と対峙しない思想・ある程度流れに身を任せる考え方が「面白い」と思えるのです。

【上智大学アジア人材養成研究センター/特任助教・アンコール・ワット修復工事所長】

カンボジアでの生活はどうですか?
カンボジアに関わり、初めてアンコールワットを見てから、早いもので四半世紀が経ちます。学ぶことが多いと感じますし、今も毎日が刺激的です。
なんと言えばいいのでしょうか、やはり私の精神の原型は幼少期を過ごした東京で形成されたと思いますので、カンボジア、特にシェムリアップの農村風景と農村の思考形態は興味深く感じられます。自然と対峙しない思想、ある程度流れに身を任せる考え方が「面白い」と思えるのです。
風と水が竹の床を抜ける高床式住居を見たときに、近代建築を支えた「鉄とガラスとコンクリート」だけが正解じゃないんだとの思いが強く湧いてきました。これからも、カンボジアから多くを学びたいと考えています。

カンボジアでよく見る風景。牛は田んぼや畑を耕すときに重宝します。(2021.08.09)

アンコールワットが舞台・劇場として使われることもあります。こちらは踊りのイベントの様子。(2013.12.05/アンコールワット第三回廊の下)

お盆前の二週間、各寺では行事が行われます。「祈り」の意義深さをカンボジア生活で学んでいます。
(5:20AM, 2019.09.23/アンコールワット北寺)

同じくカンボジアのお盆の様子。大勢の人が祈りを捧げます。(2016.09.22/アンコールワット北寺)

春分の日と秋分の日には、アンコールワット中央塔から朝日が昇ります。(2021.03.22)

2018.03.22

春分の時期(2018.3.20)

コロナ前とコロナ禍で違うことはどういうところですか?
第一に「日本との往来が自由にできない」ことが挙げられます。これまで私自身は年に2~3回日本と往来する生活を続けていましたが今はできていません。また東京の専門家が現地を訪れることも困難です。大学関係者の往来は昨年3月以来完全に停止したままです。事務的には手続きを踏めば可能ですが、時間とお金がかかりすぎるため現実的には費用対効果の点で控えています。
第二に「マスク着用の生活が定着した」ことが挙げられます。これまでの人生の中でマスクを着用したことはほとんどありませんでした。今では下着をつけるのと同じように、マスクをすることが当たり前なことになりつつあります。

観光客が年々増加し、ピークの2018年には260万人の方が遺跡チケットを購入しました。(2018.02.05)

アンコールワットでの初日の出を拝む大勢の観光客(2019.01.01)

コロナにより人が消えたアンコールワット(2021.08.27)

コロナ禍で気を付けていることは?
やはり「感染しない、させない」ことが大切だと思いますので、新型コロナ感染予防を心がけています。上智大学アジア人材養成研究センター(シェムリアップ本部)では、上智大学(東京)とも相談の上で、7月から10月まで事務所の一時閉鎖をしていました。職員の安全と健康を最優先するためであります。

コロナ禍の今どのような生活をしていますか?
カンボジアにおけるコロナは、2020年の一年間は他国の状況に比べ感染者の数が非常に少なく、誤解を恐れずに表現すると「コロナ前段階」と言えました。
2021年に入った2月20日、国内で唯一他国との玄関口になっていたプノンペンで、陽性者の隔離を徹底できず、国内各地に感染が広がり今に至ります。人流を抑制することが結果的に感染拡大防止につながりますので、オンラインでできることはオンライン化し、外出を以前より減らすように留意しています。

今後の展開はなんですか?
遺跡保全に関わる人材はこれまでの関係各国の約30年に及ぶ国際協力の成果もあり確実に増えてきました。
国内各地でカンボジア人専門家が頑張る姿を見ることができます。
今後は、その質をさらに向上させることだと思っています。
さらには、タイのバンコクやベトナムのホーチミンが経済発展を遂げたのとは一線を画し、カンボジアではシェムリアップの街が文化の中心地として発展していけるような道を考えていければと思います。地域の風土や人の特徴を生かす将来を模索することで魅力ある町づくりができるのではないかと思っています。


旅人に向けてメッセージをお願いします。
若い方には、とにかく一度カンボジアを訪れアンコール遺跡群を見てほしいと思います。その際、予備知識は必ずしもなくても構いません。先入観にとらわれず五感でカンボジアの文化を体験することをお勧めします。できれば2~3度訪れてほしいと思います。一度目の見え方、二度目の見え方、三度目の見え方、すべて異なると思います。その差異は自分の中の受け止めるセンスに変化が生まれてきたことによります。アンコールは逃げません。
バーチャル体験も可能な時代ではありますが、とはいえ自分で足を運ぶことで初めて見えてくることがあります。

久々のガイド仕事が嬉しかったのか、飛び跳ねて僧侶を案内するガイドさん(2021.04.30)

≪ 写真提供:三輪悟先生 ≫

『コロナが終息しますように』 (2021.08.20)
カンボジア全国のお寺では、朝5時・昼11時、午後2 時・夕方5時・夜8時、1日5回、コロナの感染対策と警戒心を忘れないため鐘を鳴らし太鼓をうちます。※コロナの感染が拡大した今年の3月末より。
※こちらの動画はさらに警戒意識を高めるため、夕方6時に追加で鐘を鳴らす指示が出た特別な日です。
≪ 映像提供:三輪悟先生 ≫

アンコール見聞録
カンボジアフリーペーパー『NyoNyum/ニョニョム』にて、三輪先生が執筆・連載されています。
カンボジアについて様々な角度から書かれた記事を読むことができます。

Name 三輪 悟
Satoru Miwa
Born 東京都江戸川区
Age 47
Birthday 1974年
Work 上智大学アジア人材養成
研究センター(本部)
アンコールワット西参道
Hobby 旅行、サイクリング、
建築見学、天体観測
Spots 小中学校時代は剣道
大学時代はカヌー、
インラインスケートなど
座右の銘 好奇心から始めよう
MAIL satoru@online.com.kh
FB アジア人材養成研究センター
WEB 上智大学アジア人材養成研究センター

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↓より詳しく知りたい方へのご案内↓


 

 

 

 

プロフェクトX
アンコールワットに誓う師弟の絆
2001年11月20日放送
石澤良昭教授、片桐正夫教授、
石職人・小杉孝行さんが登場。
現在の活動の原点を知れます。
DVD
電子書籍

『カンボジア 密林の五大遺跡』
石澤良昭教授と三輪悟先生の共著

 

 

 

 

 

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【住めばカンボジア】三輪 悟さん (前編) https://kuromaru.asia/article/liveincambodia/satoru_miwa_1/ Sun, 10 Oct 2021 01:00:31 +0000 https://kuromaru.asia/?p=21558 阪神淡路大震災で「自分には何ができるだろうか?」と考えるように。その体験がカンボジアでの活動に繋がる契機となりました。 【上智大学アジア人材養成研究センター/特任助教・アンコール・ワット修復工事所長】 将来は何になろうと […]

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阪神淡路大震災で「自分には何ができるだろうか?」と考えるように。その体験がカンボジアでの活動に繋がる契機となりました。

【上智大学アジア人材養成研究センター/特任助教・アンコール・ワット修復工事所長】

初めてカンボジアに来たのはいつですか?
1997年10月です。当時私は日本大学理工学研究科(大学院)で建築を学んでいました。指導教官であった片桐正夫先生から「カンボジアのアンコール建築調査に参加しないか」と誘われ、一度は7月の政変で流れたものの10月に初めて来ました。

国外からシェムリアップへの直行便はありませんでしたので、成田を出てタイのバンコクに1泊の後、首都プノンペンを経由してシェムリアップに到着しました。これが初めてのカンボジア体験でした。東京で生まれ育った私の目にはシェムリアップの田園風景は非常に新鮮に映りました。

カンボジアに住むことになったきっかけは?
大学院時代の二年間に計6回渡航し、約260日間カンボジアに滞在し建築調査を行いました。

この間、日々新たな発見があり「自然と対峙しないカンボジア人の暮らしぶり」に興味を覚えていました。指導教官から「カンボジアで活動を続けないか」とお話を頂き、当初は「英語もフランス語もクメール語もできませんし」と断りしたものの、別途相談した先生から「お前なぁ、できるようになってからと思っていたら、できるはずないだろ。まずは行ってこい」と肩を押され、単純な私はすぐに考えを改め行くことにしました。

遺跡入場証 発行日:1997.10.22

※遺跡で仕事するためのアンコール保存事務所の発行した入場証。

実際に住み始めたのはいつ頃からですか?
1999年5月からです。当初の二年間は【国連ボランティア建築家】という肩書きを頂きカンボジアで暮らし、上智大学のアンコールプロジェクトに本格的に参加することになりました。

オフィス建物 1996年竣工


将来は何になろうと思ってましたか?
小学校時代は音楽や図工の先生の指導が楽しくて「私もこういう図工の先生になりたいな」と思ったりしていました。その後高校時代に「総合学問としての建築は面白そうだ」と漠然と感じ、大学は建築学科を選びました。
率直なところ、将来についてそれ以上の特別な考えはありませんでした。世界遺産指定を受けているシドニーのオペラハウスなどに幾分憧れを持っていて、地域のランドマークを作たいな、などと考えることはありました。


前の仕事はどういった仕事ですか?
1999年3月に大学院を出てそのままカンボジアに来ましたので、他の職に就いた経験はありません。

今の仕事はどういったお仕事ですか?
カンボジアでは長期にわたるフランスによる植民地政策の中で自ら育つ機会を逸し、また内戦で専門家人材を失ったアンコール遺跡群は、遺跡の状態把握ですら十分にできておらず、保護どころではなく、日常管理にあたり「人材」に事欠く状態でした。
上智大学アジア人材養成研究センター(所長:上智大学石澤良昭教授)は将来の遺跡保存官を養成すべく、1991年から王立プノンペン芸術大学の考古学部と建築学部の学生を対象として人材養成に取り組んできました。

現在の私の仕事は、上智大学アジア人材養成研究センターのシェムリアップ(本部)での活動全般を管理・運営することです。具体的には、現地本部の管理全般やアンコールワット西参道の保存修復工事をカンボジア政府アプサラ機構とともに調整し進めることです。

正面から見たアンコールワット。人がいないのはコロナのため。(2021.03.15)

写真左手・西参道部分を修復中

修復工区。現在Zone-2、3に取り組んでいる。

アンコールワット南回廊の大崩壊(天国と地獄) ©仏極東学院/EFEO(1947.06)

版築の工程。古代同様の技術を使う努力・必要に応じて現代技術で補う。(2020.07.02)

修復哲学と主要なプロジェクト(抜粋)
【By the Cambodian, for the Cambodian】
カンボジアの遺跡はカンボジア人によって守られるべき。上智大センターは、その支援を行う。
・遺跡保存専門家の人材育成 ・バンテアイクデイ遺跡学術調査・アンコールワット西参道修復
・タニ村窯跡の発掘調査・地域住民に対する現地説明会・文化遺産教育実施


どうしてその仕事をやろうと思ったのですか?

振り返ってみると、1995年1月17日の阪神淡路大震災が一つの契機となりました。
当時大学で建築を学び始めて一年が経とうとするときでしたが、東京の自宅で朝目覚めてTVをつけると倒壊した高速道路が目に入り仰天しました人々が安全に暮らすための街づくりに対して、都市計画家や建築家は大きな責任があるのではないだろうか、と漠然と考えていました。
同年3月の九州縦断自転車旅行を前に大阪から淡路島経由で震災後の神戸を訪れ、自転車に乗り町を見ました。
震災から二か月が経過しており、震災直後の混乱状態からは少し落ち着いたように感じられました。片づけられた焼けた鉄骨の山の間を通り過ぎながら、涙が出るばかりでそこに生きる人々の写真を撮影できない自分がいました。

改めて「社会に役立つ建築活動を目指すべき」という発想を生む原点となりました。震災後ボランティア活動が流行りましたが、その時はどうしていいのかわからず何もしませんでした。
しかしその後「何かすべきだったのではないか?」という想いが心の底でずっと渦巻き、自分には何ができるだろうか?と考えるようになりました。これが私にとっての原体験であり、カンボジアでの活動に繋がる契機となりました。

1994年購入の自転車(マリン社製)(2020.04.28)

※大学時代乗ってた自転車をカンボジアに持ってきている。 この自転車で九州、四国を縦断し、東北を巡った。

今の仕事での苦労話などはありますか?
前置きを少し述べますと、日本にとってカンボジアは外国ですので、当然のことながら言葉が違いますし文化も異なります。同じアジア人として比較的顔つきは似てますが肌の色も異なります。やはり、異文化との接点においては、ささやかながら想像を超えるトラブルがつきものだと思います。
村で生まれ育った背景を持つ作業員と、プノンペンの大学で学んだ経験を持つ専門家では同じカンボジア人ですが素性が異なります。私自身も肌は少し色黒なタイプではありますが、「似て非なるもの」という面が多々目に付くようになりました。
具体例は挙げませんが、一言で言いますと「異文化間のぶつかり合い」には苦労すると言えばいいでしょうか。
しかし、これは
裏返せば面白みでもあります。想像し得ないことが日々起きるのは、サプライズな毎日であり刺激的でもあります。「面白がる精神」を持つ限り、同じ現象も苦労とは感じなくなりますので興味深いものです。

Name 三輪 悟
Satoru Miwa
Born 東京都江戸川区
Age 47
Birthday 1974年
Work 上智大学アジア人材養成
研究センター(本部)
アンコールワット西参道
Hobby 旅行、サイクリング、
建築見学、天体観測
Spots 小中学校時代は剣道
大学時代はカヌー、
インラインスケートなど
座右の銘 好奇心から始めよう
MAIL satoru@online.com.kh
FB アジア人材養成研究センター
WEB 上智大学アジア人材養成研究センター

アンコール見聞録
カンボジアフリーペーパー
『NyoNyum/ニョニョム』で連載中。

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プロフェクトX
アンコールワットに誓う師弟の絆
2001年11月20日放送
石澤良昭教授、片桐正夫教授、
石職人・小杉孝行さんが登場。
現在の活動の原点を知れます。
DVD
電子書籍

『カンボジア 密林の五大遺跡』
石澤良昭教授と三輪悟先生の共著

 

 

 

 

 

三輪 悟  Satoru Miwa
上智大学アジア人材養成研究センター
特任助教
1997年3月 日本大学理工学部建築学科卒業
1997年10月 上智大学アンコール遺跡
国際調査団参加、初渡航

大学院在学中6回
計260日間カンボジア滞在
1999年3月 日本大学大学院修了
1999年5月 現地駐在を開始
現在までシェムリアップに駐在

 

片桐正夫先生 Masao Katagiri
日本大学 理工学部 建築学科 教授
1939年 長野県に生まれる
1996年 日本大学教授
2009年
日本大学名誉教授

 

石澤良昭教授 Yoshiaki Ishizawa 
アンコール遺跡国際調査団団長

1961年カンボジアでアンコール遺跡に出会う。
70年代内戦でカンボジア渡航できず、
その間フランスに留学し歴史を学ぶ。

ポルポト時代が終わり1980年遺跡調査で再訪。
多くの遺跡保存官が失われたことを知る。
1991年からカンボジア人専門家の人材育成開始
現在も三輪先生の直接の上司であり、
年に数回カンボジアに通っている。

※現在コロナの影響で渡航はできていない。

1937年 北海道帯広市生れ
1961年 カンボジア渡航
上智大学外国語学部
フランス語学科卒業
1980年 内戦後のアンコール調査
鹿児島大学教授
1982年 上智大学教授
1991年 人材養成を開始
1997年 上智大学外国語学部長
1998年 カンボジア国王陛下から
サハメトリ章を授章
2005年 第13代上智大学学長就任
(2005年~2011年)
2007年 文化庁文化審議会会長
2017年 Rマグサイサイ賞受賞
贈賞理由:
カンボジア人が民族の誇りを取り戻す
手伝いを続けてきたこと

 

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