阪神淡路大震災で「自分には何ができるだろうか?」と考えるように。その体験がカンボジアでの活動に繋がる契機となりました。
【上智大学アジア人材養成研究センター/特任助教・アンコール・ワット修復工事所長】
初めてカンボジアに来たのはいつですか?
1997年10月です。当時私は日本大学理工学研究科(大学院)で建築を学んでいました。指導教官であった片桐正夫先生から「カンボジアのアンコール建築調査に参加しないか」と誘われ、一度は7月の政変で流れたものの10月に初めて来ました。
国外からシェムリアップへの直行便はありませんでしたので、成田を出てタイのバンコクに1泊の後、首都プノンペンを経由してシェムリアップに到着しました。これが初めてのカンボジア体験でした。東京で生まれ育った私の目にはシェムリアップの田園風景は非常に新鮮に映りました。
カンボジアに住むことになったきっかけは?
大学院時代の二年間に計6回渡航し、約260日間カンボジアに滞在し建築調査を行いました。
この間、日々新たな発見があり「自然と対峙しないカンボジア人の暮らしぶり」に興味を覚えていました。指導教官から「カンボジアで活動を続けないか」とお話を頂き、当初は「英語もフランス語もクメール語もできませんし」と断りしたものの、別途相談した先生から「お前なぁ、できるようになってからと思っていたら、できるはずないだろ。まずは行ってこい」と肩を押され、単純な私はすぐに考えを改め行くことにしました。
※遺跡で仕事するためのアンコール保存事務所の発行した入場証。
実際に住み始めたのはいつ頃からですか?
1999年5月からです。当初の二年間は【国連ボランティア建築家】という肩書きを頂きカンボジアで暮らし、上智大学のアンコールプロジェクトに本格的に参加することになりました。
将来は何になろうと思ってましたか?
小学校時代は音楽や図工の先生の指導が楽しくて「私もこういう図工の先生になりたいな」と思ったりしていました。その後高校時代に「総合学問としての建築は面白そうだ」と漠然と感じ、大学は建築学科を選びました。
率直なところ、将来についてそれ以上の特別な考えはありませんでした。世界遺産指定を受けているシドニーのオペラハウスなどに幾分憧れを持っていて、地域のランドマークを作たいな、などと考えることはありました。
前の仕事はどういった仕事ですか?
1999年3月に大学院を出てそのままカンボジアに来ましたので、他の職に就いた経験はありません。
今の仕事はどういったお仕事ですか?
カンボジアでは長期にわたるフランスによる植民地政策の中で自ら育つ機会を逸し、また内戦で専門家人材を失ったアンコール遺跡群は、遺跡の状態把握ですら十分にできておらず、保護どころではなく、日常管理にあたり「人材」に事欠く状態でした。
上智大学アジア人材養成研究センター(所長:上智大学石澤良昭教授)は将来の遺跡保存官を養成すべく、1991年から王立プノンペン芸術大学の考古学部と建築学部の学生を対象として人材養成に取り組んできました。
現在の私の仕事は、上智大学アジア人材養成研究センターのシェムリアップ(本部)での活動全般を管理・運営することです。具体的には、現地本部の管理全般やアンコールワット西参道の保存修復工事をカンボジア政府アプサラ機構とともに調整し進めることです。
修復哲学と主要なプロジェクト(抜粋)
【By the Cambodian, for the Cambodian】
カンボジアの遺跡はカンボジア人によって守られるべき。上智大センターは、その支援を行う。
・遺跡保存専門家の人材育成 ・バンテアイクデイ遺跡学術調査・アンコールワット西参道修復
・タニ村窯跡の発掘調査・地域住民に対する現地説明会・文化遺産教育実施
どうしてその仕事をやろうと思ったのですか?
振り返ってみると、1995年1月17日の阪神淡路大震災が一つの契機となりました。
当時大学で建築を学び始めて一年が経とうとするときでしたが、東京の自宅で朝目覚めてTVをつけると倒壊した高速道路が目に入り仰天しました。人々が安全に暮らすための街づくりに対して、都市計画家や建築家は大きな責任があるのではないだろうか、と漠然と考えていました。
同年3月の九州縦断自転車旅行を前に大阪から淡路島経由で震災後の神戸を訪れ、自転車に乗り町を見ました。
震災から二か月が経過しており、震災直後の混乱状態からは少し落ち着いたように感じられました。片づけられた焼けた鉄骨の山の間を通り過ぎながら、涙が出るばかりでそこに生きる人々の写真を撮影できない自分がいました。
改めて「社会に役立つ建築活動を目指すべき」という発想を生む原点となりました。震災後ボランティア活動が流行りましたが、その時はどうしていいのかわからず何もしませんでした。
しかしその後「何かすべきだったのではないか?」という想いが心の底でずっと渦巻き、自分には何ができるだろうか?と考えるようになりました。これが私にとっての原体験であり、カンボジアでの活動に繋がる契機となりました。
※大学時代乗ってた自転車をカンボジアに持ってきている。 この自転車で九州、四国を縦断し、東北を巡った。
今の仕事での苦労話などはありますか?
前置きを少し述べますと、日本にとってカンボジアは外国ですので、当然のことながら言葉が違いますし文化も異なります。同じアジア人として比較的顔つきは似てますが肌の色も異なります。やはり、異文化との接点においては、ささやかながら想像を超えるトラブルがつきものだと思います。
村で生まれ育った背景を持つ作業員と、プノンペンの大学で学んだ経験を持つ専門家では同じカンボジア人ですが素性が異なります。私自身も肌は少し色黒なタイプではありますが、「似て非なるもの」という面が多々目に付くようになりました。
具体例は挙げませんが、一言で言いますと「異文化間のぶつかり合い」には苦労すると言えばいいでしょうか。
しかし、これは裏返せば面白みでもあります。想像し得ないことが日々起きるのは、サプライズな毎日であり刺激的でもあります。「面白がる精神」を持つ限り、同じ現象も苦労とは感じなくなりますので興味深いものです。
Name | 三輪 悟 Satoru Miwa |
Born | 東京都江戸川区 |
Age | 47 |
Birthday | 1974年 |
Work | 上智大学アジア人材養成 研究センター(本部) アンコールワット西参道 |
Hobby | 旅行、サイクリング、 建築見学、天体観測 |
Spots | 小中学校時代は剣道 大学時代はカヌー、 インラインスケートなど |
座右の銘 | 好奇心から始めよう |
satoru@online.com.kh | |
FB | アジア人材養成研究センター |
WEB | 上智大学アジア人材養成研究センター |
アンコール見聞録
カンボジアフリーペーパー
『NyoNyum/ニョニョム』で連載中。
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『カンボジア 密林の五大遺跡』
石澤良昭教授と三輪悟先生の共著
三輪 悟 Satoru Miwa | |
上智大学アジア人材養成研究センター 特任助教 |
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1997年3月 | 日本大学理工学部建築学科卒業 |
1997年10月 | 上智大学アンコール遺跡 国際調査団参加、初渡航 大学院在学中6回 計260日間カンボジア滞在 |
1999年3月 | 日本大学大学院修了 |
1999年5月 | 現地駐在を開始 現在までシェムリアップに駐在 |
片桐正夫先生 Masao Katagiri | |
日本大学 理工学部 建築学科 教授 | |
1939年 | 長野県に生まれる |
1996年 | 日本大学教授 |
2009年 |
日本大学名誉教授 |
石澤良昭教授 Yoshiaki Ishizawa | |
アンコール遺跡国際調査団団長 | |
1961年カンボジアでアンコール遺跡に出会う。 |
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1937年 | 北海道帯広市生れ |
1961年 | カンボジア渡航 上智大学外国語学部 フランス語学科卒業 |
1980年 | 内戦後のアンコール調査 鹿児島大学教授 |
1982年 | 上智大学教授 |
1991年 | 人材養成を開始 |
1997年 | 上智大学外国語学部長 |
1998年 | カンボジア国王陛下から サハメトリ章を授章 |
2005年 | 第13代上智大学学長就任 (2005年~2011年) |
2007年 | 文化庁文化審議会会長 |
2017年 | Rマグサイサイ賞受賞 贈賞理由: カンボジア人が民族の誇りを取り戻す 手伝いを続けてきたこと |