旧日本人町 

観光

17世紀の朱印船貿易時代、日本とカンボジアの間では商船の渡航が頻繁であり、当時のウドンの近く、ピニャルー地域(Ponhea Leu)には70~80軒程の日本人の集落が存在していたという記録がある。ピニャルーでは過去に何度か発掘調査が行われており、伊万里焼の破片などが数点見つかっているが貿易品の可能性もあり、証明となるような遺物や痕跡はまだ見つかっていない。日本人町は江戸幕府の鎖国政策により従来が途絶えたため、いまではその痕跡を見つけることはかなり難しいとされている。

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