【住めばカンボジア】宮城結月さん

住めばカンボジア

「作り手と世間話をする」ことが私の憧れで夢でした。
【SALASUSUファクトリーツアー部門】【フリーデザイナー】

初めてカンボジアに来たのはいつですか?
2019年4月です。20歳の時で大学3年生でした。
アンコール人材養成支援機構(JST)という団体に留学で来ました。

それから大学を休学し、SALASUSUのインターン生として現地で1年、帰国後は復学しオンラインで1年、計2年、大学生をしながらSALASUSUに関わりました。

海外で働くことは決めていたので、大学卒業とともに新卒でSALASUSUに入社しました。

実際に住み始めたのはいつ頃からですか?
2022年4月からです。

どうしてカンボジアで働くことになったのですか?
大学の留学プログラムで初めてカンボジアに来た時に「ここに住みたい」と思ったからです。
なぜここに住みたいか、その理由は言語化できていないのですが《直感》という言葉が一番しっくりきます。

今の仕事はどういったお仕事ですか?

SALASUSU(NGO)で現地スタッフをしながら、フリーのデザイナーをしています。

SALASUSUは農村に住む女性たちに《ものづくり》を通じて教育を行っています。
市内から40分ほど離れたところに工房があり、そこで日々商品を作りながらトレーニングをしています。

私の所属はファクトリーツアー部門と日本事業部です。
ファクトリーツアー部門では、工房の訪問者のご案内、スタディツアーの開発・アテンド、日本の中高大学生向けのオンライン学習のコンテンツ開発・提供をしています。
日本事業部では、SALASUSU商品を日本のお客さまに届けるためのオンラインショップ運営・SNSマーケティングをしています。

訪問ツアー:作り手とお客さん

フリーのデザイナーとしては、現地で出会った方々から依頼を受けています。
牛タン専門店「Re:与作」の壁絵や、Angkor Tiger FCのスタジアム建設のビジョン図、タイとの国境付近(ポイペト)の地域マップなどを描かせていたきました。
その他にも薬莢から作ったアクセサリーや革製品で有名なAndkow & Co.のEC用の商品撮影の一部をやらせていただいています。

前はどんな仕事、何をしていましたか?
新卒でカンボジア就職したので、その前は大学生という立場からインターンでカンボジアに関わっていました。

プライベートでは、物を作ったり、表現したりすることが好きなので、デザインしたり、絵を描いたり、洋服をつくり販売したりしていました。
また、歌を歌うことも好きなので友人のバンドで歌ったりしていました。
学校内で勉強するというより、学校外で活動していましたね。

将来はどんな仕事をしたいと思っていましたか?
幼稚園の先生になることが小学生の頃からの夢でしたが、志願した教育学部に合格しませんでした。。
そこで夢を半分諦めていたのですが、最初のインターン先のJSTでは、農村部の公立中学校の先生ができると知り、教育に関われるチャンスがあると思い飛び込みました。

JSTでは時間を見つけ、生徒たちに日本語の歌を教えながら、その意味をくみ取り歌として表現することを教えることができました。

JSTでの活動写真

どうして今の仕事をやろうと思ったのですか?
JSTのインターンシップ中にSALASUSU工房を訪問したことがきっかけです。
当時、支援の在り方について悩み、納得する答えを探し求めていました。
工房の雰囲気が明るく、楽しそうにものづくりをしている光景や、日本人スタッフと作り手たちの人間関係に強く惹かれました。
農村部の作り手たちとクメール語で冗談を言いながら笑っている日本人スタッフの姿に憧れ、私もカンボジア人たちと対等な関係性でいたいと思いました。
NGOという枠の中では「支援の対象となる人」「支援をする人」に分かれてしまうと思っていました。
しかしながら、ごく当たり前の「それ以外の関係性」を目にし強い衝撃を受け、ここで一緒に仕事をしたい!と思い、即大学を休学することを決めました。行動に移すまでは一瞬でした。

今の仕事で楽しいことは何ですか?
【SALASUSU】
農村の工房の作り手たちとお喋りをすることです。
「作り手と世間話をする」ということが私の夢でしたが、その夢がようやく叶ったのが去年です。
私よりも年下の作り手が入ってきて仲良くなったのですが、ある日、自分一人でツアーの準備や片付けをしていると手伝いに来てくれて、気づいたら通訳を挟まずに話していて、それからクメール語で話す時間がどんどん増えていきました。
話す内容はその日の天気や、今日の仕事はどうだったか、疲れているか、昨日はどこにいった、何を食べた、などごく簡単な日常の事ばかりですが、それができるようになった日は、嬉しくて思わずカレンダーに印を付けてしまいました。

この出来事がきっかけで他の作り手の方たちとの距離も縮まりました。
お姉ちゃんのような、お母さんのような、親友のような存在のみんなと会うのはやっぱり楽しいです。

SALASUSUで世間話の夢を叶えてくれた子

コロナ禍では、どんな状況・生活で、何をしていましたか?
ちょうどコロナの話題が出てきた時期に、SALASUSUの現地インターンとしてカンボジアに戻ってきました。
そこから一年間は、現地ではまだ感染者はさほど出ていませんでしたが、徐々に町から観光客が消え、工房のツアーも全てキャンセルになり、在住者も続々と帰国をしていきました。

当時大学を休学中でしたので日本に帰国しても何もすることがなく、やっと来ることができたカンボジアを離れたくない!という想いで残る決断をしました。

工房訪問をオンラインに切り替えることになり、オンラインのプログラム開発、オンライン学習のファシリテーターをがむしゃらにやりました。同年代もほとんどいなくて、これから世の中がどうなっていくかわからない不安の中でしたが、とても充実していて楽しかったです。

そのまま一年を過ごし、現地でも感染者が増えコロナで厳戒態勢の中、インターン期間が終わり帰国。
大学4年生に復学しましたが、残っていたゼミの授業も卒論の執筆もオンライン。
SALASUSUのインターンもリモートで継続することにしたので、実家の自分の部屋でひたすらにパソコンと向き合っていました。

コロナ禍で、学んだことは何ですか?
《柔軟さ》です。
これは特にカンボジアの人々に教わりました。
観光地のシェムリアップでは、感染という打撃はもちろんですが、観光客がいなくなったことで起きた経済的打撃は強く避けることが不可能でした。
その中で、柔軟に職業を変えたり、気持ちを切り替えたり、今自分にやるべきこと、今できることを即座に見つける人々を目の当たりにしました。
私は性格上何かを手放したり、変えたりするのが苦手なところがあり、意地を張ってしがみつこうとしてしまうのでコロナ禍でのカンボジアの人たちから、とても大切な価値観を学びました。
非常に大変な状況の中苦渋の決断をされていたと思うので、その中で学んだというのは失礼なことかもしれませんが私にとっては大きなことでしたのでこちらでお話させていただきました。

ロックダウン。お店は営業停止。外に出れない日々。

今の仕事での苦労話などあれば。
大きなトラブルは特にありませんが、些細なトラブルはたくさんあります。
お互い違う国同士ですので、クメール語・日本語・英語という三か国の言語を交えながら話し、伝えることの難しさを痛感する日々ですが、それとともに、お互いの歩み寄りも感じることができて、結構好きな苦労です。

今後の展開はなんですか?
今は「SALASUSUの結月」で認識されている方が多いと思いますが、いずれは「絵やデザインを頼むなら結月」という存在になりたいです。
もちろん思うだけでは叶わないので、そう思っていただけるようにコツコツと技術を磨きながら経験を積んでいこうと思います。
※ PORTFOLIO 宮城結月 作品集


最後に、旅人に向けてメッセージをお願いします。
シェムリアップは【旅行、長期滞在、在住】それぞれの関わり方で、町の見え方が異なりとても興味深いです。
人々の暮らしも、そこで生まれ受け継がれている日常の知恵も、すべてが奥深くて愛おしく、クスッと微笑んでしまいます。
数日間の旅行でも観光だけではなく、ここに根付く偉大な人々と触れ合っていただきたいです。

  • カンボジアでよく見かける、愛嬌たっぷりのヤモリ

Name 宮城結月 (旧姓:近藤)
Yuzuki Miyagi
Born 愛知県
※2歳~小学3年生までは
アメリカ・ミズーリ州で過ごしました。
Age 24
Birth19.SEP.1998 15.DEC.1998
Work SALASUSU
ファクトリーツアー部門マネージャー
日本事業部ジュニアマネジャー
Hobby 歌、絵、洋服づくり、写真
座右の銘 軽やかに♬
PORTFOLIO https://thidart.my.canva.site/
※結月さんの作品集
デザインや商品化されたものが掲載されています。
Instagram yudu.kn10
Facebook Yuzuki Miyagi (宮城結月)
MAIL yudukon10ki@gmail.com

SALASUSU
TEL (+855)16 808 712
WEB https://salasusu.com/
FB Cambodia salasusucambodia
FB from Cambodia salasusufromcambodia

 

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