関係する日本人

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【 日本 】JHP学校をつくる会代表、国際ボランティア・カレッジ塾長、 東京未来大学客員教授 小山内 美江子(おさない みえこ)

学生時代 子供の頃はぼんやりと、お嫁さんになるんだろうなと思っていた。通っていた女学校は良妻賢母を教育していた。お転婆娘でも良妻賢母になる、卒業した翌日には結婚できるような教育を行う学校であった。中学2年の2学期から、文部省から通達があり学...
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【 日本 】認定NPO法人JHP学校をつくる会理事・名誉顧問、小山内美江子国際ボランティアカレッジ副塾長 今川 幸雄(いまがわ ゆきお)

初カンボジア 初めて訪れたのは1957年4月29日、外務省からの研修生としてカンボジアに派遣された。到着したプノンペンは美しく、その当時は「東洋のパリ」と噂されていた。ダリヤやパンダンがある公園、ノロドム通りなど主要道路はきれいに舗装されて...
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【 日本 】愛センター代表、日本語教育関係 渡辺 藍(わたなべ あい)

建築の仕事を探すために日本語教師に カンボジアに初めて訪れたのは1999年、大学の卒業旅行として5日間滞在し、普通にアンコールワットやトンレサップ湖を見て帰国した。ただの旅行であった。 卒業後、普通に日本で就職した。ハウスメーカーの営業と設...
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【 日本 】筑波大学体育系助教、ハートオブゴールド理事、 カンボジアオリンピック委員会技術顧問兼親善大使 山口 拓(やまぐち たく)

大学から社会に 大学卒業後、出版社に勤務することになった。社会を知りたいという気持ちと、大学まで行かせてもらった親に対し社会で働く力があることをしめしておきたかったからかも知れない。1年程で退社し、興味を持っていた青年海外協力隊に応募した。...
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【 日本 】筑波大学芸術系世界遺産専攻助教 下田 一太(しもだ いちた)

カンボジアに カンボジアを初めて訪れたのは1998年。日本国政府アンコール遺跡救済チームの代表を務める中川武教授の研究室に所属となったのがきっかけであった。当時修復工事前の準備調査が進められていたアンコール・トム内にあるプラサート・スープラ...
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【 日本 】奈良文化財研究所・企画調整部長 杉山 洋(すぎやま ひろし)

学生時代 高校は進学校に入学した。将来的に何をするにしろ、勉強だけしておけば困らないという意識もあり、余り対した目標も持たず勉強をしていた。二年生になった頃、中央公論社が出版する「日本の歴史」シリーズを手にする機会があった。今でも名著と言わ...
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【 日本 】JICA中部国際センター所長 鈴木 康次郎(すずき やすじろう)

日本にて 高校までずっとパイロットになろうと思っていた。高いところが好きで、小さい頃から空を飛びたいという単純な発想であった。しかし高校2年の頃、真面目に職業としてのパイロットを考えてみた。決まったルートを沢山のお客さんを乗せて安全に運ぶた...
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【 日本 】エイリーズカンボジア創業者 橋本 元秀(はしもと もとひで)

日本時代 学生時代から海外旅行が好きだった。大学時代は休学してアメリカに1年間留学した。2001年に大学を卒業し、人材排出企業として有名なリクルートに入社。将来、起業することをずっと前から決めており、そのために日本の企業できちんと経営を学び...
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【 日本 】カンボジア料理店すろまい代表 中村 健司(なかむら けんじ)

バックパッカーとしてアジアを周遊していた大学時代 大学在学中は政治を学んでいた。そして、長期休みのたびに、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、バングラデシュ、インドをはじめとしたアジアの国へと足を運んでいた。旅の目的も国も様々であった。単純に...
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【 日本 】メイホーエンジニアリング 元カンボジア駐在員 高崎 真一(たかさき しんいち)

日本で 1997年、大学を卒業し大阪のデザイン会社で営業を始めた。営業業務は嫌いではなかった。しかし、新しい顧客を作り出すことよりは、新しいデザインを創り出すという方にもっと興味があった。そのため、東京に行きデザイナーとして出版社で働くこと...