建築の仕事を探すために日本語教師に
カンボジアに初めて訪れたのは1999年、大学の卒業旅行として5日間滞在し、普通にアンコールワットやトンレサップ湖を見て帰国した。ただの旅行であった。
卒業後、普通に日本で就職した。ハウスメーカーの営業と設計の仕事をしていたが、激務だったこともあり3年半で辞職。建築関係の仕事で海外に出たいと考えていたが、女性で建築、まして海外でとなるとなかなか募集枠が少なかった。見つかるまでの保険として、また海外に出る手段として退職後に6ヵ月かけて日本語教師の資格を取得した。
2003年、ラオスで日本語教師の仕事が決まった。日本人の運営する学校であった。念願の海外就職であった。8ヵ月経ったある日、突然学校が閉鎖となった。家賃を滞納していた代表に対し、建物オーナーが怒り、鍵を取り換えてしまったのだ。家賃を滞納するくらいである、有給という条件で働きに来ていた自分に対しても給与はずっと未払い状態が続いていた。学校はそのまま閉鎖となり、自分は無職となった。そのため、次の仕事を探しに隣国のカンボジアへと行くことにした。
プノンペンで日本語教師に、そして花嫁修業のために
ラオスとカンボジア。二足のわらじ生活の傍ら、インドとベトナムに
愛センターの立ち上げ、そして新しい事業
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
センターの役割変化、そして今後の挑戦
センターを始める際に、10年を目安にカンボジア人だけで運営できる形にすると決めていました。実際、現状を見ているともう少しかかりそうですが、だんだんと形になってきていると感じています。ただ、最初は教育目的で始めたセンターでしたが、時代の流れもあり、地域の集いの場、そして、職業訓練の場として今後方向を考えていかなきゃいけないと思っています。
そして、自分のやっていた建築の仕事、何らかの形でそれを活かせれば良いなと考えてます。今現在、パソコン教室ではフォトショップを教えていますが、近い将来CADを教えて日本から仕事を発注し、スタッフが図面を引いて私がチェックをする体制を作りたい。でもまだ数年かかりそうですね。他には、アクセサリーや、お土産物などの製作。現地で仕事を作って、そこからセンターの収益にも繋がればいいなと考えています。もちろんそこから一山当てられればな~と友達と夢物語をいつも話してます。
停滞した国と違って、育ち盛りの国に住む人々。いつもイキイキ、きらきらしているカンボジア。そんな国ならではの、失敗を恐れなくてもいい雰囲気、空気がある。
実際訪れると嫌なこともたくさんあるとは思います。でも、まずはカンボジアの魅力に触れてみてください。
渡辺 藍(わたなべ あい)
出身: 山形県
学歴: 東京理工大理工学部建築学科、一橋大学大学院社会言語研究科
職業・業種: 愛センター代表、日本語教育関係
座右の銘: 明日は私の風が吹く
趣味: 俳句、プロ野球観戦
カンボジア歴: 1999年初訪問、2006年より滞在、現在は日本在住
ウェブサイト: http://aicenter.main.jp / http://ameblo.jp/cambodiaai/