日本にて
1985年、税理士・公認会計士事務所に入社し、2年半で退社した。一番下っ端だったこともあり、オフィスの人以外に出会うことがない職場、会計の世界に暗さを感じ、もっと外の世界を感じられる仕事をしたいと思ったからであった。
そして、貿易・海外人材派遣会社に勤務することになった。海外で行っていた火力発電所の建設プロジェクトに、日本のエンジニアやアジアの人材を送る仕事であった。フィリピンの会社との調整を行うこともあり、アジアを身近に感じるようになっていった。3年ほど勤めた頃、1週間の休暇をとり、海外クルーズ船であるピースボートに乗ることにした。その事を社長に伝えると、船に乗ることを反対され、そのまま会社を辞めることにした。
1989年、カンボジアにピースボートで訪れた。当時、ピースボートはまだ世界一周ではなく、アジアを巡るクルーズ船として運営されていた。第二次世界大戦時に日本がアジアに「侵略」したことを「進出」と書きかえた教科書問題が発端となり企画されたクルーズであり、真実を知りたい若者たちが自分たちの目で、日本が戦争で関わった国々を廻ってみようという船。自分自身アジアの国々に興味が沸いていた時だったこともあり、参加することにした。
シンガポールまで飛行機で行き、そこからカンボジアとベトナムを航海した。その船には難民として日本に来ていたカンボジア人も参加する予定であった。しかし、出発直前までビザは下りず、最後にどうにか入国が許可されたが、何かがおかしいと感じた。
その後、日本で広告代理店に就職し、夜間の大学院で国際政治経済を学ぶことにした。勉強はあまり好きではなかったが、実務には基礎が必要なため、自然と勉強をしたくなる。実務と知識の両方が伴わないと気持ちが安定しなかったからであった。
カンボジアへのボランティア派遣。そして出会い
非営利から営利に。そして夫の急死
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
カンボジアでの子育て、そして今後自分がやること
ポルポト政権以降、日本人女性としては初めてカンボジアで出産しました。子供たちの国籍は日本ですが、生まれも育ちもずっとこの国。そのため、日本の事をあまり知らず、学校、友だちとの会話はほとんど英語となり、日本語もクメール語もあまり上手とは言えないため、子供たちが自分のアイデンティティを確立できないのではないかという心配があります。
また自分自身、カンボジアの子供たちに少しでも多くのチャンスを与えられたらと考え、プライベートな時間は恵まれない子供たちへの支援や奨学金支援を行っています。モンドルキリ州に土地を準備し、知的・身体障害を持つ人たちが、他人の目やストレスを感じずに自分のやるべき道を探せるように、訓練をしながら、自立生活が出来る施設を作りたいと考えています。将来的に自分もそこに住み、美味しい空気を吸いながら、畑を耕し、満天の星を眺めながら、彼らの支援をする、そんな時間が持てればいいなと思っています。
カンボジアに来ようとしている皆さん、是非、自分の目で見て、自分のカンボジアを体験してください。人によって捉えるカンボジアは違います。初めて来た時が自分のカンボジアが始まる時で、そこから見て、感じていけばいいんです。他の人が体感したカンボジアの話はあくまで参考として、自分自身のカンボジアを創っていってください。
石本 由美 (いしもと ゆみ)
出身: 東京都出身、埼玉県育ち
学歴: 横浜国立大学経営学部卒業
職業・業種: VDB Loi法務・税務会計事務所 日系企業担当ダイレクター
座右の銘: 為せば成る 成らぬは人の為さぬなりけり。(とはいえ諦めが早くて、全然成っていません!)
趣味: 運動、書き物
カンボジア歴: 1989年初訪問、1992年より在住
ウェブサイト: www.vdb-loi.com