【シェムリアップ】カンボジアの何でも屋さん Hub Siem Reap 花園 里沙(はなぞの りさ)

関係する日本人

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月収170万円、20歳の若社長

中学2年頃からグレ始め、家にもあまり帰らずに、高校に入ってからもずっとやんちゃばかりしていた。母からは「普通」という事の大切さをずっと言われ続けていた。高校3年、卒業間近で学校を辞めることにした。付き合っていた彼を追いかけ、ブラジルに住むことにした。結局ビザ問題と、母の反対から日本に戻ってきた。

19歳頃から新宿のキャバクラで働くようになった。バブルはずっと前に終わっていたが、まだまだ接待費として領収書が落とせる時代であった。1年半ほど働いた頃、いつかブラジルに行くためにと貯蓄していたお金で自分の店を持つことにした。

子供の頃からなりたかった社長という夢は、20歳で達成した。売り上げは順調に右肩上がり、女性スタッフは10人程まで増えていった。多い時には1ヵ月で170万円が自分のポケットに入っていた。しかし、社長業は思っていたよりも大変であった。自分はたまたま成功したが、それでも家賃や人件費などの支払いやスタッフ管理、そしてお客様からのクレームなどに追われ、自由な時間はあまりとれずにいた。

銀座や六本木には仕事で行くことも多く、そこで夜の世界で働くママと知り合うこともあった。自分が求めている生き方はこれではないと思った。このままだと自分もいつか、彼女たちと同じ道をたどるのではと感じ、22歳で夜の世界から足を洗うことにした。

その後、工場でアルバイトなどを行い、ガラスフィルム会社の営業として就職した。震災直後という事もあり、飛散防止のフィルムは飛ぶように売れた。

その頃から、アロマテラピーに興味を持ち始め、学校にも通うようになっていた。26歳でインストラクター資格を取得し、自営業としてアロマオイルなどを扱うネットショップをオープンした。個人向けのビジネスであり、自分一人で仕入れから発送まで行っていた。また時間がある時はフリーマーケットなどでも販売し、リピーターとなるお客様を見つけたりしていた。最初は良かった売り上げも、より安く販売するサイトの出現により、だんだん下がっていった。顧客ターゲットも個人から企業へと切り替えていったが、それだけで食べていけるほど収益は無く、母の仕事を手伝ったりもしていた。

 

カンボジアで事業の立ち上げ、そして辛い時間
経験から生まれた事業。何でも屋の開業

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

自分のチャレンジと、メッセージ

シェムリアップには世界中からいろんな人たちが訪れており、国際色は豊かです。そんな中だからこそ、楽しくやりたいことはどんどんチャレンジできますし、その点では在住日本人同士で協力しあいながら、もっと日本の色を出していければと思っています。

最近、日本人夫婦や家族で移住してくるケースが増えてきています。みんな自分の人生を豊かにしたいと思って来ており、自分の人生を楽しみ、自分らしく生きようとしています。

自分自身、日本に住んでいた頃を思い返すと、日常でも仕事でも気が抜けず、笑顔でいられる時間も少なく、自然とストレスが溜まっていましたが、この国にいると、誰にどう見られようとあまり気にしなくてもいいので、自分らしく生きられ、ストレスフリーな生活となっています。また、個性が強く、魅力的な人たちとの出会いも多く、そこから常に刺激を受けることで、もっと頑張ろうと思えます。

余談となりますが、カンボジアでは起業しやすく、コストも安いという意識で来る人も増えていますが、実際に安いのは人件費だけで、資材などの多くは輸入品となるため、意外と高いという事は意識しておいた方がいいです。予算問題や、カンボジアだからと言う甘い意識などにより、志半ばで帰る方も多いので、やるからには適度に余裕を持ち、長期でビジネスをやれるようにきちんと考えてから来た方が、あとで後悔をしないですむと思います。

 


 

 

花園 里沙(はなぞの りさ)

出身: 東京都

学歴: 現在美容学校3年生

職業・業種: カンボジアの何でも屋さん Hub Siem Reap

座右の銘: 正しく義があることのみをやる

趣味: 愛犬と遊ぶ

カンボジア歴: 2012年12月より在住

ウェブサイト: www.hubsiemreap.com / www.facebook.com/HubSiemReap

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