本名サロト・サル、「メコンのヒトラー」の異名をもつポル・ポトは1975年から1979年にかけてカンボジア政権を握り、虐殺や強制労働によって多くの自国民の命を奪った。ポル・ポトの思想は、人間が狩猟採集していた時代を理想の社会だと考え、現代に原始時代を再現しようとした「原始共産主義」。わずか4年のポル・ポト政権の犠牲者の正確な数は今なお分かっていないが、人口は3分の1に減少し、国民の85%が14歳以下だったといわれている。政権が倒れた後は、タイ国境付近のジャングルに逃れ武力闘争を続けるが、次第に勢力は縮小し1996年に完全に崩壊、1997年に心臓発作で死去(毒殺ともいわれている)。ポル・ポトの遺体は、アンロンベンから北へ16㎞のところで火葬され、埋葬された。また、ポル・ポトの家はもう10㎞ほど行った、ダンレック山中にある。ポル・ポト派の史跡を見にアンロンベンを訪れる人は後を絶たない。そして、その中心は外国人ではなく、カンボジア人だそうだ。