サッカーで海外に
物心がついた頃からサッカー選手になると決めていた。そしてそのために毎日練習に明け暮れていた。中学3年の時、体育の授業中に右腕を複雑骨折した。これが自分の運命を大きた変えた。利き手が使えないため鉛筆さえまともに持つことが出来ず、県立高校への受験に失敗し、堀越高校へと入学することとなった。当時の堀越高校は都内にある五、六百校の中で12年間連続でベスト4に入っていたサッカーの強豪校であった。本心を言えば、友人たちと一緒に弱くてもいいから別の高校で頑張りたかった。
家から学校まで片道3時間と言う生活が始まった。毎日20キロ近くの荷物を持って通っていたため椎間板ヘルニアとなった。チームではレギュラーをとるために必死であった。誰にも気づかれないように痛み止めの注射を打ちながら練習をする日々。痛みに耐えながら、ずっと頑張っていた。そして高校3年、自分たちの集大成となる試合で当時の監督が選手入れ替え事件をおこした。自分の方針に従わない生徒に対して欺瞞心、嫉妬心から3年生全員を試合に出さず、後輩の2年生を出場させたのだ。フィールドでは自分たちのユニフォームを着て、2年生が試合をしていた。こんなことで、自分たちの3年間が終わると思うと本当に辛かった。(その後の裁判で監督が非を認め8年間の謹慎処分となった)
高校卒業後、全国大会を一度は通過したいという思いから、北海道の道都大学に入学したが、監督の考え方との違いを感じ半年で自主退学をした。
1996年、19歳で片道チケットを購入し単身ドイツへと渡った。ドイツ語は全く話せなかったが、スタジアムの前で野宿をすることで言葉が通じなくても誰かが自分に興味を持ってくれるんじゃないかと考えたからであった。数日後には、近所で話題となり、入団テストを受けられることになった。そしてドイツ・ブンデスリーガー2部アルマニア・アーヘン入団テストに合格しプロサッカー選手となった。その後、プロ、セミプロ選手としてドイツ、イギリス、アメリカ、ブラジルなどで8シーズンの海外選手生活をした。その間には、椎間板ヘルニアの手術なども行った。
日本はチャレンジする選手を潰す世界であったが、海外はチャレンジする人にチャンスを与えてくれる世界だと強く感じた。
日本帰国、そしてカンボジアにJICA短期戦門家として派遣
カンボジア、第2ステージ。JICAから日系プロサッカーチームへ
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
今後のカンボジアと自分の挑戦
Jリーグトライアウトで日本で解雇になった選手たちがいます。サッカーチームでは、外国人は1チームに最大5人までとなり、ピッチに立てるのは3人です。8人のカンボジア人と3人の侍が共に戦うことによって新しい色が生まれるのではないか。カンボジアに足りなかった気が出来上がると思っています。日本での選手生命の終わりは、世界での選手生命の始まりだという事を日本人に伝えたい。
カンボジアはアジアの中で未だタイトルを取ったことがありません。次の目標はアセアンでチャンピオン、もしくはアジアのAFCで他国のチャンピオンチームと戦い、トロフィーをカンボジアに持ち帰ることです。
カンボジアで指導者としてやっている時に感じることですが、恐怖はフィールドの中にはありません。怖いのが一部の権力者によって、健全でなければならないサッカーが間違った方向にもっていかれること。そうならないようにしなければなりません。
自分自身、将来的には世界で通用する日本人指導者になりたいと思っています。そしていつか日本代表をオリンピック、ワールドカップ、FIFAクラブワールドカップで優勝させたい。その時の監督が自分でありたいです。
みなさん、人生は限られていて、二度と戻ってはきません。思い切り自分らしく楽しんで夢を抱きながら自分のやりたいことにチャレンジして下さい。
吉岡 大介 (よしおか だいすけ)
出身: 埼玉県
学歴: 道都大学(北海道)中退、ブレバード大学スキャロライナー校芸術学部(アメリカ)
職業・業種: TriAsia Phnom Penh Football Club監督兼GM
座右の銘: 人事を尽くして天命を待つ
趣味: 旅
カンボジア歴: 2010年より在住
ウェブサイト: https://www.facebook.com/TriasiaPhnomPenhFC