「人とともに生きる、ともに支え合って生きる」
カンボジアで学んだことです
【Share The Wind 代表】
初めてカンボジアに来たのはいつですか?
20歳の誕生日を迎える2012年9月に初めてカンボジアの地に降り立ちました。
途上国やそこの教育・子ども達の暮らしに興味があり、いつしかその状況を直接自分自身の目で確かめたいと思い始めていました。そこで、当時東南アジアの中でも貧困国で、内戦の影響で子ども達が教育を十分に受けられない状況あったカンボジアへいくことに決めました。
カンボジアに住むことになったきっかけは?
2014年にシェムリアップ州の農村部に小学校を建設したのがきっかけです。
実際に住み始めたのはいつ頃からですか?
2015年3月です。
大学を卒業して2週間後に半年間だけと決めてカンボジア・シェムリアップ州へ戻って来ました。
私自身も当時は住むとは想像もしていませんでした。
以前の仕事はどういったお仕事ですか?
大学2年生の時に任意団体Share the Windを設立し、以後同じ団体で活動をしています。
今の仕事はどういったお仕事ですか?
現在は、カンボジアローカルNGOとして活動をしています。
主には建設した小学校、村での教育支援・就学支援・就労支援・技術支援をしています。
「教育支援」「就学支援」に関しては、主には高学年の生徒1人1人と先生方と面談の機会を設け、勉強や生活、今後の進路などの相談を行っています。先生方や保護者がしっかりと子ども達の意見や主張に対して聞く耳を持つことが大切だと思っています。
その後、団体として金銭的な余裕がない家庭や保護者と離れて暮らさなければならない家庭に対して「就労支援」「技術支援」を通してサポートを開始します。
カンボジアは何よりも家族を大切にする温かい国です。故に、子ども達も親や兄弟のために働き手となることがあります。家族が一緒にいることは農村部での教育にとってとても重要なことだと感じています。
就労支援では2016年より、お菓子袋や古新聞を再利用した商品製作をしてきました。
技術支援では2019年より縫製技術習得、2020年5月からは農業にも着手しています。
※下記・活動年表参照
どうしてその仕事をやろうと思ったのですか?
小学校があれば子ども達は勉強ができる。安易にそう思い込んでいました。
しかし、そこには様々な課題がありました。カンボジアに住み始めた最初の数週間、村で生活をしていました。1家族1家族の家を周り、ぎこちないクメール語で話をする毎日でした。
親が遠方や隣国のタイへ出稼ぎに行き、少し寂しげな表情を浮かべる子どもの話に触れ、親からは生活の実情を聞き、私が思い描く教育と村の教育、生活に大きな差を感じました。
話を聞いているうちに、このままでは帰れないと思い、現地に留まることを決意しました。そこで一番の課題であった「金銭=仕事」、に着目し学校を辞めてしまった学生や出稼ぎから帰って来た母親に対して就労支援を始めました。
今の仕事での苦労話などはありますか?
現在行なっている活動に対して、常に自問自答し、客観的に多方面から考えられるように心掛けています。
小学校建設以降の活動は村の方々からお願いをされた訳でもなく私が決めたことです。
活動の1つ1つの着地点をしっかり見据え、村や小学校、子ども達、その家庭の状況、1人1人の個性そしてカンボジアの今後を考えた上でどのように進めて行くか、舵取りはとても慎重になり責任を感じています。
村という生活の空間に入り活動することの意味を年々深く感じています。
今は現地にも日本にも心強い仲間がいてくださり、ともに共有して進めているので苦労はありながらも楽しく活動をしています。
カンボジアでの生活はどうですか?
約6年ほどの生活になるので、そこまで不便はありません。
シェムリアップ市内の自宅でも村でも気さくで温かいカンボジア人の心に触れ、周りに感謝しています。
私自身、静岡県の片田舎で近所の方達に囲まれながら育ったので、人と人が優しく深く繋がるこの街はどこか懐かしく、とても住みやすいです。
活動でも私生活でも、時々予想もしないことが起こりますが、それもまたカンボジアと今では飲み込んで暮らしています
コロナ前とコロナ後で違うことはどういうところですか?
村での活動の取り組み方は、コロナウィルスにより、より深く考えさせられたことでした。
2020年を迎えた頃ににようやく商品販売の売上と日本からのお客様の訪問費で団体の運営が出来るようになっていました。現在は僅かな売上はあるものの非常に厳しい状態が続いています。観光客のみに着目するのでなく、カンボジア国内のマーケットを見つめ直すことに気づかされました。新しいものを生み出すことも大切ですが、今ある資材や職、生業をサポートし価値を生み出すこともまた村の活動では必要だと学びました。 そして、どんな状況でも微笑みを絶やさない周りのカンボジアの仲間達に心を救われています。
コロナの状況で気を付けていることは?
活動地である村へは自宅があるシェムリアップ市から通っているので、万が一が起こらぬよう食事の場所や体調管理は気をつけています。村で活動をともにするスタッフや村の方々の表情や発言に最善の注意を払い、不安や心配が見えた時は村に行くことを控えたり、また村の工房(オフィス)で寝泊まりすることもあります。
コロナの今どのような生活をしていますか?
外出を極力控える以外は、特に生活のスタイルは変わっていません。
もともと自宅か村の現場しかいないような引きこもり人間だったので。
夜間の外出規制が出る前は、村で20時近くまで活動していたので、今は自宅への帰りが早くなったという感じです。
今後の展開はなんですか?
今年は「縫製技術習得支援」と「農業支援」が中心の活動になります。
どちらも技術的な支援になります。
これまでは、限られた人のみを対象として就労支援を行って来ましたが、今回はより広くの村の方々へ範囲を広げられるよう進めています。
まずは、現状のスタッフに縫製技術を体得してもらい指導者へ。
農業支援では団体の保有する農地にて、村の方々にしっかりとした栽培法や管理を学んでいただき各農家の農業収入の向上に努めたいと思っております。
双方、まだまだ先は長く私自身も学ぶべきこと、開拓することが多くありますが、周辺の村にも広がるよう1つのモデルケースを作り、子ども達の教育へ繋げて行きたいと考えています。
旅人に向けてメッセージをお願いします。
私がカンボジアに住むきっかけとなった1つに、現地の方々の心の温かさと懐の深さがあります。
【人とともに生きる、ともに支え合って生きる】
私はこれをカンボジアや活動を通して学びました。シェムリアップも少しずつ発展を見せていますが、依然穏やかな街です。
ちょっと一息つきたい時、ゆっくり休みたい時は是非、シェムリアップに来て長閑なひと時をお過ごしください。
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リエンポン村での活動映像
https://www.youtube.com/watch?v=vITTTwYAL5Q
農業支援の活動映像
https://www.youtube.com/watch?v=j-X5ALslKKo
学校建設・内田さんについてより詳しく知りたい方はこちら
https://web.facebook.com/SharetheWind2012/videos/695552941363438
※ 活動年表
Name | 内田 隆太 Ryuta Uchida |
Born | 静岡県 三島市 |
Age | 28 |
Birthday | 1992年9月18日 |
Work | カンボジアローカルNGO Share The Wind 代表 Leang Pong Village |
Hobby | 映画鑑賞 |
座右の銘 | 等身大で背伸びせず |
Tel | 087 786 913 |
share.the.wind2012@gmail.com | |
Web | http://share-the-wind.sunnyday.jp/ |
FB | SharetheWind2012 |