【シハヌークビル】シハヌークビル港経済特別区アドバイザー&日系企業進出支援コンサルタント 服部 寛(はっとり ひろし)

関係する日本人

日本から海外駐在に

大学時代は、英語研究部(ESS)に入部していた。政治や社会問題をテーマとして選び、みんなでディスカッションやディベートを行っていた。議論をするためには、まず実際にそのテーマを深く勉強する。そうしなければ自分の意見が出せないため、自然と様々な知識が身についていった。それらの蓄積から世界相手に仕事ができる総合商社に就職することにした。

1979年4月、三井物産に入社。東京の営業会計部で3年、その後、転勤で大阪の繊維部へと配属された。当時、NHKでドラマ化されていた小説「炎熱商人」を見たことから、気候も仕事も熱い発展途上国に行きたいという気持ちが強くなっていた。

1987年6月、31歳で海外勤務の機会が訪れた。行先はアフリカのアンゴラ(当時、任地国先としては一番ハードシップが高かった所)であった。

派遣されたアンゴラは内戦中であり、日本大使館もなく、在留邦人は数人のみ。海外駐在の安全と健康管理面を考慮し、実際はポルトガルとアンゴラの2ヵ国を定期的に行き来する変則勤務となった。担当する駐在員は二人しかいなかったこともあり、専門であった繊維以外でも、鉄鋼、食品、機械、石油など、あらゆる分野の仕事をやらなければならなかった。おかげで様々な知識が自然と身についていった。また、7年間の駐在により、ポルトガル語はビジネスレベルまで上達していた。

1994年2月、アンゴラでの任務は終了し、再び国内勤務となった。その後、イスタンブール(トルコ)にも転勤することとなり、そこには2005年3月末まで駐在していた。そして2006年5月末、サラリーマン人生に限界を感じ、27年間勤めた会社を早期退社し、海外で新たな天地を求めることにした。

 

アンゴラからカンボジアに。JODCからJICAへと
シハヌークビルで独立事業展開

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

今後のカンボジアと自分の挑戦

内戦で疲弊していたアンゴラと較べると、カンボジアはこれまで安定して発展してきています。しかし、昨年の議会選挙の結果を見ても若い人たちを中心に意識の変化が出始めており、急速な発展による社会の歪みにより、貧富の差が拡大し、治安が悪化し始めています。それを政府がいかにコントロールしていけるかがこの国の今後の課題だと思っています。

この国で事業をやる際に、気を付けてほしいことは、日本は成熟した社会の国であるが、カンボジアは全てが途上の国ということです。仕事に関しての時間やお金の流れは、日本はシビアでクリーンですが、カンボジアでは予測できない時間の流れと想定していない所からお金が必要となったりします。そのことをしっかり認識して、且つ、余裕を持って仕事を始めることが大事だと思います。

日本は今や世界の中で最長寿国となり、人生百年も近づいてきています。自分の両親も父が92歳、母が83歳ですが健在です。カンボジアは平均年齢が60歳(日本では還暦)となり、自分自身この国の平均寿命に近づいていますが、これからも健康で楽しく、常に夢を持って生きていこうと思っています。

毎朝体操をして、休日は魚釣りに出かけ、またプールや海で泳いでストレス解消と体力強化、そして、疲れたらスパ・マッサージを受けて、ゆっくり休養。さらに、愛妻と共に愛犬3匹と戯れることで、日本よりも健康的な生活がエンジョイできている気がします。

50歳で日本のサラリーマン社会から飛び出し、カンボジアで新たな仕事と人生の目標、そしてこれからの後半生への大きな宝物を見つけました。皆さん、もし現状に満足していないなら、思い切ってその殻を破り、宝探しに海外に飛び出してみてください! きっと何か人生の宝物が見つかると思います。

 


 

 

服部 寛 (はっとり ひろし) 

出身: 大阪府

学歴: 神戸大学法学部卒業

職業・業種: シハヌークビル港経済特別区アドバイザー&日系企業進出支援コンサルタント、(株)パクト・コンサルティング&ツーリズム代表取締役

座右の銘: 挑戦と創造、七転八起

趣味: 海釣り、マリンスポーツ、乗馬、スポーツオブキングス

カンボジア歴: 2006年7月より滞在し、一時帰国後、2009年3月より在住

ウェブサイト: http://www.pactct.com / www.facebook.com/hiroshi.hattori.180

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