日本で
子供の頃、アフリカの内戦の番組を見て衝撃を受けた。将来的に世界中の貧困、紛争問題を解決できないかと考え、国際公務員(国連職員)を目指すことにした。大学で国際関係の学問を学んでいるうちに、大国の利益が尊重されるアプローチに嫌気がさした。貢献と言う意味では様々なスタイルがあった。海外ではビジネスで成功した人が、自分のお金で財団法人を作り、支援をしている例も多い。将来的に自分も起業し、そういうスタイルで国際貢献をすることを決意した。
60年前、第二次世界大戦が終了し、今後は食料が必要だという時代に、祖父が農薬卸問屋を始めた。地元で農家に農薬の使い方などを説明しながらやってきた小さな店であり、そこで生まれ育った。近くの農家に遊びに行っては畑や田んぼで農作業を手伝うといった環境。その頃から農家の人々にはネガティブな発言が多いように感じていた。だんだん高齢化が進み、廃業をしていく農家も多くなっていた。
高校から地元を離れ大学に進学。2007年に卒業し、人材系ベンチャー企業に入社した。新規開拓の営業マンとして働いていたが、2年ほど経った頃、両親が体調を壊したため実家に戻り家業を手伝うこととなった。
せっかくの機会だから農業としっかりと向き合いたい、そんな思いで、業界を知るために様々な本を読んだ。2050年頃には世界人口が約90億人となり、今の食糧生産量を180%にしないと食糧危機が起きると警鐘している本もあった。他の国は食糧生産に力を入れているが、日本は既得権益問題などで世界的には大きく出遅れている。やり方次第では、すごい産業となる可能性を感じた。もともと起業しようと思っていたこともあり、この分野で試してみることにした。
祖父の代から取引のある農家の方々と出来るだけ多く話してみた。しかし、価格問題と将来性、そして後継者問題など、全体的に課題は山積みであった。農業の可能性と現場の疲労とのギャップ、上手く解消できれば農業はもっと面白いビジネスとなると考えた。
面白い農業実業家との出会い
カンボジアの村を訪問。日本と重なる世界
カンボジアで農協を?
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
カンボジアでのビジネスと自分の挑戦
カンボジアでビジネスをやる場合、カラスは白だと言われたら、白だと思う意識が必要です。日本人の常識では考えられないことが日常的に起こり、カラスは黒でしょと言うとそれ以上何も生まれない。彼らが白と言う理由を追及していくスタンス、そうやって理解していく意識が必要です。
自分達の事業は農業ビジネスの構造上、どうしても時間が掛かってしまいます。生産ビジネス一本だと、日本でさえも企業が農業参入して黒字化するのに5〜8年掛かるのが現状です。まして、農業に対しての設備補助や、インフラ・資材が整っていない海外では、その難易度はさらに上がります。幸い、弊社は良い商品を取り扱っているので数多くの販路はあります。それらに対して、我々のコンセプトに沿った比較的利益率の高い商品を販売する食品商社事業も同時に行っています。それらの利益を農業ビジネスに再投資しながら、現地でのブランドと技術を構築する。それが私たちの海外における将来的な強みになると考えます。
今後、現地での生産事業も、加工生産など粗利率の高いビジネスモデルにシフトチェンジしていき、3年以内に隣国のタイとベトナムにも販売先を作るのが目標です。日本とカンボジアの農家で作った農産物や食品を通して、本当の食の安全と安心をアジア中に届けたいです。
阿古 哲史 (あこ てつし)
出身: 奈良県
学歴: 立命館大学政策化学部卒業
職業・業種: 株式会社ジャパン・ファームプロダクツ代表取締役CEO
座右の銘: 面白きこともなき世を面白く
趣味: 音楽
カンボジア歴: 2011年11月より在住
ウェブサイト: http://www.japan-farmp.com