日本からカンボジアに
子供の頃は、何か海外に行けるような仕事に就きたいと思っていた。具体的にこれというものはなく、何でも良かった。地元佐賀を出て、海外へ出ることが憧れであった。
1987年、学校を卒業しJICAに就職することになった。本部で4年間勤務し、その後、ミャンマー勤務となった。当時、ミャンマーがまだまだ落ち着いていない時代であった。1989年6月18日、国名はビルマからミャンマーへと改名された。同年、ビルマ建国の父であるアウンサン将軍の娘、アウンサンスーチー女史は民主化を拒む軍政により自宅軟禁された。翌年には総選挙が開催されアウンサンスーチー女史の率いる国民民主連盟が大勝した。しかし、軍政側による「民主化より国の安全を優先する」という判断により政権の移譲は行われず、軍による暫定統治が始まった。それに伴い日本政府はミャンマーへの支援を停止したが、いきなり全ての活動を止める訳にもいかず、人道的かつ緊急性の高い案件に関しては援助を継続していた。
在住日本人が百人いるかどうかという状態で、JICAにいる日本人は所長と自分の二人だけ、仕事は何でもやっていた。
1994年、再び日本で本部勤務となった。無償資金協力や青年海外協力隊を派遣する部署、経理部などにも所属し、2003年、次長としてハノイにあるベトナムJICAに派遣され、業務全般を行うようになった。ここでも3年半勤務し、再び東京に戻り、無償資金協力を主に担当した。
カンボジアに赴任、所長としての仕事
JICAとしての挑戦の先、ソフトとハード
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
今後のカンボジアと自分の挑戦
青年海外協力隊員が帰国するときに、彼らの話を聞くことが多いのですが、みんな口をそろえて言うのが、「教えにきたつもりが、逆にカンボジアに教えられました」という事です。何を教わったのかは人それぞれですが、カンボジアはみんなを受け入れてくれる国であり、みんなから教えられる国なのかなと思います。他の国々と較べると人の輪の中、また食事や文化面でも入りやすい国だと思いますね。受け入れる人々にも親日家が多く、教えながら自分も学べると言う環境は良いですね。
また今後はJICAの広報活動にも力を入れていきたいと思っています。いろんなところで行っている我々の事業や活動をきちんと知ってもらい、それがカンボジアの様々な人達に役立っているんだということをもっと理解してもらいたい。ポルポト時代が終了して15年近く経った1993年から、JICAはカンボジアで地道に活動を行ってきました。10年以上協力してきた上水道事業の結果、現在ではプノンペン市内で水道の蛇口をひねればきれいな透明な水が出るようになったという事を知ってほしいですし、他にもたくさんの活動や成果があります。
日本という国が国際社会の中で、ODAを通じて様々な国々と友好関係を築いていることを、我々の活動を通じてもっと伝えられたらいいなと思っています。
井﨑 宏 (いざき ひろし)
出身: 佐賀県
学歴: 立教大学院
職業・業種: JICAカンボジア事務所長
趣味: 自転車
カンボジア歴: 1996年初カンボジア、2013年より在住
ウェブサイト: http://www.jica.go.jp/cambodia