R8_Nishimura

日本時代

小学校高学年から高校を卒業するまで新聞配達をし、長期の休みになると様々なバイトをやっていた。毎月1~3万円弱のお給料、夏休みや多い時には15万円以上あった。子供には少し多いぐらいのお小遣いであった。その金で、本やマンガ、そしてゲームや電子機器など、新しいモノが出ると次々と手に入れ、いつも貯金はゼロという生活であった。

高校を卒業し、地元の観光専門学校に入学した。単純に大学入試に失敗し、まだ社会には出たくはなかったからであった。観光学科を選んだ理由も、なんとなく海外に繋がっているという雰囲気で選んだだけであった。

バブル景気も終盤であった高校卒業時、人手不足に悩まされていた都市部の企業は、定期的に行われる企業説明会へと訪れる地方からの参加者に対し、食費、交通費、宿泊費、その上、手土産を付けていた時代であった。それから2年が経過し、いつの間にか世の中は平成不況へと突入していた。旅行業の資格は取得していたが、旅行会社からの求人は驚くほど少なかった。結局、学んだこととは関係がない、地元のアパレル会社に就職することになった。

不況を感じない職場であった。世の中はアメカジブームであり、新しいファッション誌が次々と発行されていた。ヴィンテージと呼ばれるリーバイスジーンズやナイキ、そしてGショックには驚くほどのプレミア価格がついていた。サラリーマンとして働きながら、個人バイヤーとして、田舎町のホームセンターや時計屋、そしてリサイクルショップを廻っては、価値のあるファッションアイテムやブランド品を大量に安く仕入れ、売買雑誌などに掲載し販売していた。毎月百万円を超す支払いはあったが、収入はそれ以上にあった。

気がついた時には、入社から5年が経過し25歳となっていた。あっと言う間であった。若さとセンスが常に求められる業界である。流行の移り変わりは早く、将来を考えた先輩達が次々と辞め、いつの間にか中堅スタッフになっていた。上司から役付きの話がちらほら出始めた頃、自分がやりたい事は何だろうと考えだした。

 

オーストラリアでワーホリ留学、そしてカンボジアに
現地採用と新規ビジネスの立ち上げスタッフ。そして独立

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

カンボジアで働こうと言う人に

カンボジアに来て10年経ちました。もともとカンボジアにこだわりがあった訳でもなんでもなく、それまでの生き方同様にたまたま流れ着いたような感じでここで仕事をやっています。

今までカンボジアで働きたい、事業を興したい、事業を興したという日本人数百人と出会い、話を聞いてきました。そこで気づいたのが、「カンボジアじゃなきゃいけない」「カンボジアが好きだから」と、カンボジアにこだわって事業や活動を行っている人ほど、カンボジアに裏切られ、失意のうちに帰国する人が多いという事です。何をやるにしても、カンボジアは選択肢のうちの一つだという意識でいた方が心にも余裕が出来て良いとは思います。

生活でも仕事でも、楽しい、楽しくないの判断は自分の気の持ちようです。同じことがあっても受け取り手の性格により、全く逆の発想をする人がいます。どっちにしろ一緒なのであれば、ポジティブなとらえ方をし、自分が歳をとった時に後悔しない生き方をしたほうが良いと思っています。

 


 

西村 清志郎 (にしむら せいしろう) 

出身: 高知県

学歴: メルボルンカレッジオブテクノロジー経済学部卒業

職業・業種: フォトライター、クロマーツアーズ、クロマーヤマトゲストハウス、マンガ出版

座右の銘: 鶏口となるも牛後となるなかれ、捲土重来

趣味: 写真、読書、物書き、ロッククライミング

カンボジア歴: 2004年より在住

ウェブサイト: http://tokuhain.arukikata.co.jp/siem_reap/

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