日本でのライフ
人生向き不向きより前向きに行動する。子供の頃から、思い立ったら我慢ができず、すぐに飛び出していく性格だった。そのため、周りからは鉄砲玉と呼ばれていた。
19歳の頃、アメリカの若者たちがアフリカに井戸を掘りに行くというドキュメンタリー番組を見た。お金の支援ではなく、自らの体を使った国際貢献であった。自分もやりたいと思い、父に伝えると「紛争をやっているような国で今のお前に何が出来るのか」と諭された。いつか自分に出来る支援を、どこかの国でと思い始めていた。
家を飛び出し、大学には一年遅れで入学した。苦学生、そんな言葉がぴったりであった。アルバイトをしながら学費を支払っていたが、大学は授業料の値上げを発表した。学生による反対運動が起こり、学内紛争となった。結局、授業料は値上げされ、自分は学費が払えず滞納することとなり、未払いのため大学四年生で除籍となった。
そのタイミングで大手航空会社の国際線キャビンアテンダントとして就職が決まった。大変ではあったが、海外に繋がる仕事は楽しかった。今の自分に出来る国際支援、そう考え、仕事の合間を縫っては東南アジアへ支援物資を送る活動を行ったりもしていた。 22年間務めた会社であったが、早期退職制度を利用して45歳で退社することにした。
退社後、直接自分でできる国際貢献を考え、日本語教師の資格を取得した。取得後は日本語教師としてのキャリアを積みながら、人材育成、企業のブランディングコンサルタント業務などを、掛け持ちで行っていた。また、ファイナンシャルプランナーの資格も取得し、銀行のブランド戦略室で講師として働いたりもした。その縁もあり、旅行会社のCSアドバイザーや、中小企業でのブランディングや人材教育を行うようになっていた。
そんな矢先、大叔父が倒れたため介護生活が始まった。いつ体調が良くなるかも分からず、海外に出る夢は諦めかけていた。数年後、大叔父は他界し、自分のやるべき道をもう一度考えることになった。
カンボジアに、そしてホープオブチルドレン孤児院に
自分のやるべきこと。そしてテレビ放送(メディア)の影響
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
今後のカンボジアと自分の挑戦
カンボジアに来てもうすぐ5年経ちますが、毎日新しい発見があります。また、日本に帰国する度に、何か衰退していると感じるのですが、この国で生活をしているとエネルギーが常に湧いてくるように感じます。
将来的に、孤児院や、そこで育った子供たちがきちんと自立できる目途がついた段階で、自分はここを離れる予定です。そして、次はラオスなど他の国でここでの経験を活かして活動しようと考えています。一度限りの人生、悔いのないように生きたいと思います。「やらないで後悔するよりやって反省。まずは前進を!」をモットーに。
岩田 亮子(いわた りょうこ)
出身: 福岡県
学歴: 福岡中央高等学校卒 横浜国立大学中退
職業・業種: ノリア孤児院/「HOPE OF CHILDREN」孤児院運営テクニカルアシスタント・ボランティア
座右の銘: 当たって砕けろ!
趣味: 創作料理
カンボジア歴: 1999年初訪問、2009年より在住
ウェブサイト: https://www.facebook.com/ryoko.iwata.73/