【プノンペン】プノンペン経済特区社CEO 上松 裕士(うえまつ ひろし)

関係する日本人

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フィリピンと日本で

大学2年生の夏休み、フィリピンルソン島北部、棚田が有名な山岳少数民族の村でのホームステイキャンプに参加した。その体験はあまりに衝撃的であり、帰国後に大学を1年休学して再びフィリピンに戻った。大学を卒業する頃、日本はバブルで浮き足立ち、就職口は引く手あまたであった。そんなお決まりのコースに進むのは楽しくない。そう思いフィリピンの大学院に入学した。留学後しばらくすると、山岳少数民族の村で出会っていた女の子と仲睦まじくなっていた。

1994年、清水建設フィリピンで現地採用として働くことが決まった。工業団地での日系工場建設に絡み、政府機関との折衝、総務、経理、顧客対応などを任された。私生活では、学生時代から付き合っていた彼女と結婚し、子宝を授かった。

2000年、日本に帰国することに決めた。フィリピンの伝統豊かな山岳少数民族の生活にふれることで、逆に、日本の豊かな伝統を見直してみたいと思ったからだ。飛騨高山にある木工会社オークヴィレッジに飛び込んだ。木工品ならお椀から建物まで何でも造り、「100年育った木は100年使えるものに」を合言葉にする会社であった。一番記憶に残っている仕事は、スポーツ用品メーカー「ミズノ」との共同企画であり、バットに使えない「不適格材」を利用し、キーホルダーやお守りを製作・販売したことである。甲子園球児に大人気になり、その後、阪神タイガース版、楽天イーグルス版、日本シリーズ版などに広がり、かなりの売り上げがでた。また、売り上げの一部は、バット材のアオダモ植樹に使われ、現在でも毎年、植樹祭が行われている。また、その時に懇意にしていただいたバット職人久保田五十一氏(イチローや松井のバットを造り続けた方)から、「日本の職人の極み」を教わった。70歳を超えた今でも、毎朝腹筋、背筋二百回ずつを日課としており、自分も彼が持つ強靭な精神力と体力に少しでも近づきたいと思っている。

2006年、40歳を境に、海外でもう一度チャレンジしたいと思い始めた。そんな時にカンボジアで新しい経済特区開発のためのスタッフ募集があった。フィリピンで工業団地の工場建設現場にいたこともあり、どのような工業団地であれば成功するか、おおよそのイメージを持っていた。またフィリピンの大学院で開発経済学などを勉強していた知識で、東南アジアの発展パターンを考えると、次はカンボジアだと思った。カンボジアはまだまだ日系企業の進出が少なかったこともあり、先駆者になれるのではと思い、応募することに決めた。

 

 

カンボジアで経済特区開発、そしてリーマンショック

 

ラオスでの経済特区開発、カンボジアとラオスの長所と短所

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

 

これからの挑戦

今までの人生経験から、日本の最大の強みは、「モノづくり」と「人づくり」にこだわる精神だと思っている。バット職人久保田五十一氏の生き様は、まさに日本のモノづくりと人づくりの極みである。この精神は、業種を問わず日本の製造業の根底を貫いている。今の仕事を通して、カンボジアとラオスに日本最大の強みを浸透させ、その結果、日本とカンボジア、ラオスがともに発展していくことに少しでも貢献することが出来れば本望である。

 

 


 

 

上松 裕士 (うえまつ ひろし) 

出身: 岐阜県

学歴: 立教大学社会学部卒業

職業・業種:プノンペン経済特区社CEO

座右の銘: 心のある道

趣味: 合気道

カンボジア歴:2007年2月より在住

ウェブサイト: http://www.ppsez.com/

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