幼少期から大人に
物心ついた頃、日本舞踊をやっている友達がいた。自分もやりたいと親に頼み、6年間踊る歓びを味わった。以降、憧れの職業は舞台女優、吟遊詩人、親が望んでいた学校の先生、そして芸術家。漠然とそんな夢を見つつも、高校時代には拒食症になっていた。生活には不自由しないサラリーマン家庭で大事に育てられていたが、両親の希望に従えない自分への不安感からだろう。
大学では哲学を専攻した。しかし、それを研究したい訳でも、社会に出てやりたいことがある訳でもなかった。アルチュール・ランボーや中原中也のように、汚れなく生きたかった。そんな時、ほのかに好きだった人が若くして自殺した。それまでどう生きれば良いのか分からなかったが、自分には「生か自殺か」の2つしか選択肢がない事に気付き、生きてゆく覚悟をした。
大学を卒業すると福祉施設で働くことに決めた。旧い家風で育ったせいか、自分の欲望を追及してはいけないと信じており、お金という目的のために福祉という聖職を選ぶ事で、罪悪感が薄れるような気がしたからであった。そこで働くうちに気付いた事があった。知的障害の入所者は、不満や不条理感が強かった。でも、そんな不満でも一時忘れる事があり、「今日のご飯は何だろう?」といった、小さな幸せを感じて生きていた。どんな状況に置かれても、些細な事に喜びを感じて人間は生きられるのだ、とエールをもらった気がした。
その後、2年間務めた職を辞め、沖縄へと自分探しの旅に出た。大自然に包まれて三線を習った。そこにはアジアを旅した人も多く、その影響からアジア大陸の風を知ろうと、海外に旅に出た。タイ、インドネシア、マレーシア、インドと、自分の魂の居場所を探した。そして東南アジアの芸能に触れ、子供の頃に踊りを習っていた事を思い出した。何も我儘を言わない「いい子」だった自分が、唯一親に頼んだこと、――「踊り」が本当に好きだったのだ、と思い出した。
そして1993年、タイ王立チェンマイ音楽舞踊学校で、タイ古典舞踊の聴講生として学び始めた。
タイ古典舞踊からクメール古典舞踊に
運営の不安。若い踊り手から老年「大家」へ
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
今後の挑戦
日本でカンボジア舞踊とその文化を伝えながら、現代人の心に響く舞踊作品を作り上演したいと願っています。それは私の小さな自己実現ではありますが、それがカンボジアの人々にとっても、何かしらのプラスになれば、とても嬉しいです。
人生やこの世は理不尽な事だらけですが、それでも「良い所もあったな、精一杯できる事を努力したな」と、自分が思えるようにし、他の方々とその気持ちを分け合いたく思います。
「もう辞めたい」と思う時、既に人生後半の私に初恋(?)の人が今なお、「芸術への愛を諦めて良いの?」と、問い続けている気がします。
20歳の頃と違うのは、苦闘しながら歩んできた道のりと、自分とは違う世界を持つ小さな他者の輪が、今の私にある事かもしれません。
山中 ひとみ(やまなか ひとみ)
出身: 東京都
学歴: お茶の水女子大学哲学科美学美術史卒業、王立プノンペン芸術大学付属芸術学校古典舞踊科卒業
職業・業種: カンボジア古典舞踊家、 カンボジア舞踊企画制作・教室SAKARAK主宰
座右の銘: 人生は、どんな状況でも、意味がある――ヴィクトール・フランクル
趣味: 遺跡、古い寺院や教会、美術館巡り、古楽鑑賞、海や温泉、お花見などの季節の行事
カンボジア歴: 1996年初訪問、1997年10月~1998年6月、1999年11月~2003年8月まで滞在
ウェブサイト: http://www.ne.jp/asahi/sakarak/cambodia