【プノンペン】認定NPO法人サイド・バイ・サイド・インターナショナル・カンボジア事務所所長 佐々木 明子 (ささき あきこ)

関係する日本人

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初めてのカンボジア

初めて訪問したのは2006年10月。現在所属している団体で本格的に働くようになり、カンボジアの公立病院等に送った救急車や医療機器などがどうなっているか、どう使われているのかを確認するための視察であった。カンボジアでは、まだまだ公立救急システムが確立されておらず、悪質な民間「救急車」が勝手に交通事故の負傷者を運んでは、高額な搬送費や治療費を要求することが多々あった。貧しいからと、瀕死の被害者が事故現場に置き去りにされるケースもあった。そこで、自分達が立ち上がり、日本のように、誰もが直ちに適切な応急手当を受け、病院に搬送されるようなシステムをこの国に作ることにした。

カンボジアに来た当初、シェムリアップで、伝統の森を訪問したことがあった。母親が働く横で幼い子供たちが遊んでいた。運営する森本氏との会話には国際支援用語は一言も出てこなかった。良い製品を作れば、売り上げが上がり、働く人たちの給料も上がる。逆なら給料に影響する。シンプルだが誰にでも分かりやすいシステムだった。雇用を作り出す大切さを学んだ。

NPOで働くまでは、ボランティアやバイトをしていた。阪神大震災後に現地でボランティアをしたこともある。日本が嫌で早く脱出したいと以前は思っていたが、互いに助け合う被災者を見て、日本人への考え方が変わった。

団体自体は1997年から、カンボジアに緊急車両や医療機器・教材などの輸送を開始。2008年からは、カンボジア事務所を設立し、継続的に救急医療支援活動を続けていた。救急車や消防車、医療機器の寄贈、救急隊員の養成などを主に行うと共に、学校や養護施設の教育支援なども行った。また日本の大学生たちが行う医療支援事業やスタディーツアーをサポートしたりしている。

 

日本の学生団(GRAPHIS)によ病院建設
サイド・バイ・サイドとしての活動、そして外国人による支援の弊害

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

今後のカンボジアと自分の挑戦

以前見たカンボジアの映画のセリフに「金持ちはたくさん食べるものがあって、ちょっとずつつまみ食いするだけで、ちっとも喜びを感じない。貧乏人は食べ物があるだけで幸せだ」というのがあった。

日本で、多くの子供や若者が自殺するのはなぜか。極度な貧困が原因であるケースは少ないと思う。 学生たちがカンボジアに来て、自分には感謝できることが沢山あることに気づく。悲惨な状況にもかかわらず、明るく生きようとする子供たちに涙し、また、何かしら手伝ったことで、初めて自分も必要とされている存在なのだ、と感じている。

ある時、学生団体の代表が「自分たちはカンボジア人を助けに来ているつもりだったけど、本当は自分たちが助けられているんだね」と言った。それを聞いて、純粋に嬉しかった。日本人とカンボジア人が、同じ人間として、助けたり、助けられたりするのであって、一方的に助けるということはない。

発展し、変わりゆくカンボジア。しかし、それに取り残され貧困にあえぐ人々も大勢いる。病気や事故によって、救われるはずの命が失われたり、家族もろとも貧困のどん底に突き落とされたりしないよう、救急事業や医療・教育支援を通して、カンボジア人がカンボジア人を助けられる体制作りをしていきたい。

自分自身も、もっとカンボジア語を学び、知りたかった本音を聞けるようになり、本気で喧嘩できるくらいになれれば、と思う。

 


 

 

佐々木 明子 (ささき あきこ) 

出身: 福岡県

学歴: 高校卒業

職業・業種: 認定NPO法人サイド・バイ・サイド・インターナショナル カンボジア事務所所長

座右の銘:助けたい命があるから

カンボジア歴: 2006年10月初訪問、2013年より在住

ウェブサイト:https://www.facebook.com/asasaki.sbsi

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