【シェムリアップ】スナーダイ・クマエ代表 メアス 博子(めあす ひろこ)

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カンボジアとのなりそめ

1997年2月、大学の卒業旅行を兼ねてカンボジアに訪れた。知人が支援し、建設された学校の式典に出席するためであった。学校建設の現地担当者は日本に住んでいたこともあるカンボジア人男性で日本語もぺらぺらであった。どことなくフィーリングが合う。そう感じながら日本に帰国した。

大学卒業後は税理士事務所に就職した。日本で働きながら、カンボジアの彼とのやり取りを行う日々となった。連絡方法は国際電話とファックス、そして手紙、インターネットなどは一般的ではなかった時代であった。

年末、再びカンボジアに訪れた。やはり運命の人だ。そう感じ、二人で一緒に帰国することにした。

自分自身、いつもその時の波で生きてきた。子供の頃からずっとそうであった。周りから見て大きな決断でも、自分の中では一つの選択という感じであった。

ある日、体調に異変を感じ、調べてみると妊娠していた。実家に戻り彼を両親に紹介し、結婚することにした。

子供は日本で出産した。赤ん坊が落ち着いた頃、夫の実家があるプノンペンへと引越した。当時、プノンペンの夜は普通に銃声が聞こえるような町であった。家にはお手伝いさんが3人、そして運転手が常に待機していた。夫は毎日仕事に出かけ、自分はすぐ近くに行く場合も必ず車を使うように言われていた。25歳で赤ん坊を抱えた日本人女性。12歳年上の夫から見ると心配だったのだろう。あまり外に出ず、家でも何もすることがない日々。時間だけを持て余していた。

夫はシェムリアップで孤児院を運営していた。その支援者の多くは日本人だったこともあり、お礼状を書くのが自分の仕事になっていた。書くためには現地をもっと深く知っておく必要がある、中身の伴っていない表面上だけのお礼状を書くのは失礼だと思い、自らその孤児院を手伝うことにした。結局プノンペンには3ヵ月ほどしかいなかった。

 

シェムリアップの孤児院に。山積みになっている問題
夫婦は元々家族じゃない

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

今後のカンボジアと自分の挑戦

世の中には人がやらない経験をやってる人はいっぱいいます。でも今改めて思うと、自分が色んなものに係わっていることに気づきました。孤児院運営、海外生活、教育、シングルマザーなどです。私自身、別に子供が好きだからこっちに来たわけでもないですし、海外生活はどうだとか、教育とはこうあるべきだとか、普段から真面目に考えてるわけではないです。ただ、自分が暮らしてきた日々の積み重ねの結果、今がある訳です。

実際、年代、性別、その人たちの置かれている環境などによって伝えたいことは変わります。でも自分自身が伝えたいポイント、その着地点が少しずつですがやっと見えてきました。

今まで10年以上に亘って、この活動を続けられたのも、自分一人の力じゃなくて、周りの人たちに恵まれ支えられてきたからです。孤児院の事は現地スタッフに任し、ここで経験した事を、話と言う形で日本に還元していく役割が出来たら、日本人としてカンボジアで暮らしてきた意味もあるのかなと思っています。

あと、私自身、何か物事を判断する時に最初から決め付けないようにしています。先入観や固定観念ってありますが、人に対しても、行動に対しても、その時の相手の状況や、自分を取り巻いている環境などタイミングがあると思うので、自分自身の意識はフラットにして、その時に一番良い方法をと考えて動くことが大事だと思っています。なので、私がここで言ったことは一参考として捉え、あとは自分の感性で考えてください。私が言ったことはあくまで私の発想なので。

 


 

 

メアス 博子(めあす ひろこ)

出身: 和歌山県

学歴: 甲南大学経営学部卒業

職業・業種: スナーダイ・クマエ代表

座右の銘: 足るを知る

趣味: 嵐

カンボジア歴: 1997年より在住

ウェブサイト: http://snadai.blogspot.com/

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