J13_Imagawa

初カンボジア

初めて訪れたのは1957年4月29日、外務省からの研修生としてカンボジアに派遣された。到着したプノンペンは美しく、その当時は「東洋のパリ」と噂されていた。ダリヤやパンダンがある公園、ノロドム通りなど主要道路はきれいに舗装されていた。チェコスロバキアから輸入されたゴミ収集車が毎日走り、その脇をシクロがのんびりと走っていた。人々を含めた景観はとても美しかった。東京で貧乏学生をしていた自分の目線から見ていた下町の東京と比べると、広く美しく、なんて素晴らしい国だろうと感じた。

当時、カンボジアでカンボジア人になりきろうと考えていた。美術大学の先生の家に下宿し、一般のカンボジア人の生活を覚えた。嫌だったことはトイレがなかったことだった。小はどこでも良かったが、大の時には知人の家まで行かなければならなかった。

研修生としてカンボジアの法科大学に入学した。そこで法律を学び、クメール語でカンボジア人と議論できる位になりたかった。しかし、これが失敗であった。先生は1人を除き全てフランス人であり、同級生はフランス語しか話さず、クメール語で会話は出来ても読み書きができない者もいた。そしてクメール語を学びに来た自分を鼻で笑ったりしていた。

でっかくて汚いシトロエンの車を安く手に入れた。友人と一緒に何度となくアンコールワットにも行った。カンボジア人の友人はクメール語で書かれた標識が読めずに、自分に読んでくれと尋ねてきた。ざまーみろと思った。研修生が終わり、その後三等書記官として大使館に勤務した。1965年までカンボジアで生活し、一通りの会話と文字はできるようになっていた。

 

再カンボジア。あだ名は「カン馬鹿」。そして海外からカンボジアを見る
日本帰国、外務省を退官。そしてJHPとの再会

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

カンボジアをより深く知るために

カンボジアに訪れると、古い建物が残り、それを美しいと思うこともあると思います。フランス植民地だったから美しいと知らない人は言いますがそれは違います。本当に美しくなったのは1953年の独立以降で、今は亡きシハヌーク国王と共に、「美しい国づくり運動を進めよう。景観だけでなく、心も含めた、全てにおいて美しい国づくりを」と、何度も語りあったのを覚えています。

これからカンボジアに進出される方や、観光でアンコールワットに行く方、そしてNPO/NGOで支援に行く方に伝えたいことですが、カンボジアの人たちの生活を尊敬し、自分たちから溶け込んでいくという気持ちでなければいけません。

カンボジア人の心、彼らほど自分たちの国を愛して、仲良くやっていこうと言う国民は他にはないです。このことをきちんと理解して、上から目線で見ずに、カンボジア人と同じ目線で物事を見て、行動することが大事です。そのためには、カンボジアの自然や歴史、政治、生活をより深く知る必要があります。

ただ世界遺産を見たと言うのではなく、その歴史や民族の誇りも十分に理解していってほしい。なぜ、アンコールワットがカンボジア人の心の支えになっているのか、どんな苦難な時代でもそれを誇りとしていたか。それを知った後だと、遺跡を見るだけで、より深く感じるものがあると思います。

カンボジアでビジネスをしようとする人はもちろん、遺跡の研究者も案内する人も そういった基礎的な部分をきちんと勉強してもらいたいと思います。私としてはそういった人たちの影のお手伝いをずっとしていきたいと思っています。

 


 

今川 幸雄(いまがわ ゆきお)

出身: 東京都

学歴: 早稲田大学政経学部卒業

職業・業種: 認定NPO法人JHP学校をつくる会理事・名誉顧問、小山内美江子国際ボランティアカレッジ副塾長

カンボジア歴: 1957年初訪問、その後数度に亘り滞在し、現在は日本在住

ウェブサイト: http://www.jhp.or.jp/

100cambodiajapanese-ad