【プノンペン】JICAシニアボランティア 金廣 純子 (かねひろ じゅんこ)

関係する日本人

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制作会社に就職

子供の頃から、テレビ関係の仕事に就きたいとずっと思っていた。ただただテレビが好きだった。大学3年生の春休み、テレビ制作会社のアルバイトに参加することになった。番組のリサーチ業務、2、3ヵ月だったが面白かった。制作会社にお願いし、そのまま大学4年まで1年程行った。就職は大手企業から内定を受けていた。しかし、普通の企業で働くよりも、自分が興味を持つテレビの仕事をやりたいと思いだしていた。

当時、テレビ局に入社するのは難しく、特に女性に対しては厳しかった。よっぽど成績が良いか、誰か有力者の推薦状が必要であった。アルバイト先の社長に推薦状を書いてもらえないかとお願いし、いくつかのテレビ局を受けた。内二局は最終面接まで行ったが不合格となった。結局、アルバイト先に頼みこみ、そのままその会社で働くことになった。入社後すぐに「世界・ふしぎ発見!」が始まった。プロデューサーの一番下っ端業務としてコピーをとる傍ら、番組の立ち上げ、企画書作成などを行った。それから約10年間、ほとんど同じチームで同じ番組(もちろん他の番組も作っていたが)を作っていた。いつか違うチームで、違うこともやってみたいと思いだしていた。

休職し、半年間イギリスに滞在し、帰国後、退社することにした。その後、新しい職場で再びテレビ番組のプロデューサーとして、「SMAP×SMAP」や「情熱大陸」などの番組制作を行った。しかし、バブルがはじけた影響もあり、入社して2年経つ頃には会社の経営状況は厳しくなり、取引先に対する支払いが遅れることも増えていた。プロデューサーとしての信用問題もあり、退社を決めた。(退社数ヵ月後、その会社は潰れた。)

次の仕事もプロデューサーであった。独立系の制作会社でNHKのドキュメンタリーなども制作した。自ら営業に赴き、企画を書き、番組を作る。プロデューサーの基本業務を行いながら、10年程在籍し、2010年に再びイギリスへ留学するために退職した。 日本でそれまで創ってきた番組の数は五百以上、数えられないほどであった。

 

カンボジアのテレビ局で人材育成
カンボジア初、ロボコン開催

(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)

 

カンボジア人の意識、そして今後の自分の挑戦

カンボジアと日本の違いとして一番大きいことは、社会と自分、あるいは個人がどう関わるか?という考え方だと思います。これは、本当になんとかしなければこの国が世界中から置いて行かれる大きな要因の一つではないかと思います。

カンボジアに来て、改めて日本の社会的な基盤の強さや、基礎教育の高さ、またそれらの大切さを痛感しました。日本人にとって当たり前と思っていることが実はものすごく貴重な、しかも先人たちの努力の上に成り立っているのだ、ということに気づかされました。

私自身、今後もメディアを通して世界を見る、ということをずっとやっていきたいと思っています。メディアはその国を映す鏡ですから。

 


 

金廣 純子 (かねひろ じゅんこ) 

出身: 東京都

学歴: 慶応義塾大学卒業、レスター大学修士号取得

職業・業種: JICAシニアボランティア

座右の銘: It is no use of crying over spilt milk.

趣味: 自転車(ロードバイク)

カンボジア歴: 2012年6月より在住

ウェブサイト: http://blogs.yahoo.co.jp/kanehirojunko

 

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