日本で
自分のモットーは、昔は「より積極的に」、そして今は「なるようになるさ」である。全く何もしないのではなく、ある程度は自分でやってあとは様子を見る。40歳過ぎた頃からそうゆっくりと変わっていった。
子供の頃は、料理人か医師になりたかった。美味しいものを見たり食べたりするのが好きであった。また、自分の父が医師だったこともあり、人間の体の仕組みに興味があった。
1988年、大学を卒業し医師になるとともに大学院に進学した。同時に第一外科の医局にも入局した。その後スウェーデンの研究所にも2年間在籍し、肺がん細胞中のたんぱく質について研究していたこともある。
専門は呼吸器外科として、主に肺を扱っていた。しかし、大学の医局では出向も多く、多くの病院へ出向することで、様々な分野で経験を積んでいった。2005年、異動をきっかけに、13年間務めた大学の医局を辞めることにした。
異動先の病院はベテランドクターが多く、あまり新しい事には挑戦できない職場であった。既に40代である、このままここに居続けることに先が見えてしまった。しかし、大学に属していた医師が40歳を過ぎて新しい職場を探すのはそんなに簡単ではなかった。医師不足の地方都市に行けば優遇してもらえるかもしれないが、都市部では医師の転職は難しい。また日本国内にいる限りは保険診療の枠内でやらないといけないため、制約も多く、あまり面白くはないと思い始めていた。
カンボジア訪問。養子縁組。そして起業
カンボジアでの治療と湿潤療法
(こちらの記事は書籍版でご紹介しております)
今後のカンボジアと自分の挑戦
日本のメディアが伝えるカンボジアは、貧困、地雷、不潔、そういうマイナスのイメージが大きいと思いますが、実際ここに来てみると決してそうではないことが分かります。
自分自身、カンボジアに来て本当に良かったと思っています。子供はインターナショナルスクールで学ばせており、他の世界中から来ている子供たちと一緒に勉強することで、自然と英語も伸びてきています。また、自分自身も子供と一緒に過ごせる時間も増え、のびのびと暮らせています。日本を出たことを後悔はしていません。
自分の専門は外科ですが、クリニックでは内科を含め、産婦人科以外の医療全般を行っています。そのため、患者数も安定してきていますが、近い将来、もう少しクリニックの規模を大きくしたいと考えています。とは言え自分一人では無理なので一緒にやってくれる日本人医師がいるといいなと思っています。
クリニックですが、もちろん一般的な海外旅行保険も使用できますし、日本の国民健康保険に加入している場合は、日本帰国後に7割ほど国からお金が戻ってくる申請書の作成も可能です。病気の事、保険のことなどお気軽にお尋ねください。
カンボジアに少しでも興味がある人は、是非一度カンボジアに足を運んで自分の目で見てください。
奥澤 健 (おくざわ けん)
出身: 和歌山県
学歴: 東京医科大学大学院卒業
職業・業種: Ken Clinic 院長
座右の銘: 人事を尽くして天命を待つ
趣味: スキューバダイビング、写真、三線
カンボジア歴: 1997年初訪問、2009年より在住