午前8時半過ぎ、アンコール・ワットの見学を始めた。正面には中央祠堂が見える。西参道の石道を500メートル程まっすぐに進むと、中央祠堂に到達した。
(中央祠堂へつながる環濠にかかる西参道の石道)
歩き進めると、爽やかな心地よい朝風が吹き抜ける。熱帯の青い空と深い森林に囲まれたこの神秘的な空間はなんと広大なことだろうか。
中央塔の仏像や造形を見届けて第一回廊に辿り着いた。第一回廊の西面左側には、インド古代の叙述史「マハーバーラタ」が、西面北側には「ラーマーヤナ」の壮大な浮き彫りが描かれている。どのガイドブックにも詳細な説明がされているように、第一回廊は言わずと知れた見所の一つであり、現地のガイドさんも丁寧に説明してくれた。
✳︎ インドの二大叙事詩:古くからの伝承がまとめられ4世紀のグプタ朝時代に完成
✳︎ ラーマーヤナとは:後期ヴェーダ時代のコーサラ国の王子ラーマが、妻シーターを奪還する様子が描かれた物語
✳︎ マハーバーラタとは:パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子の王位継承争い
✳︎ デバターとは:アプサラ、女神とも表現されいずれもアンコール遺跡に浮き彫りで描かれた美しい女性の姿を指す
(左:精巧な細工の施された浮き彫り 右:神秘的な微笑みを浮かべるアバター)
(第一回廊はレリーフの壁画の壮大なギャラリーであり、静寂の中、鳥のさえずりと観光客の足音が回廊に響く)
第二回廊へ歩を進めると、長い年月を経て風化した跡や、途中で仕事を放棄したような未完成な壁面が多く見られた。第一回廊では美しい壁面に目を奪われていた反面、第二回廊にはレリーフが少ない分、床に連なる石の表面の穴に視線を奪われた。
(長い年月を経て風化し、途中で仕事を放棄したような未完成な壁面)
(第二回廊の床に連なる石の表面の石穴)
現地のガイドに尋ねると、その石穴は石を運ぶ際にあけられ、テコの原理を利用して持ち上げたものであるという。
(第二回廊の床に連なる石の表面の穴の拡大写真)
十二世紀前半、現代の技術やトラック等が存在しない時代において、一体如何にしてこんなにも大量の重量のある石材を運び、建設を進めたのだろうか。
古代の人々の石工技術の高さを目の当たりにし、現在から七〇〇年以上にも前に遡る古代人への想像力と好奇心を掻き立てられた。
今回の記事では、そんな第一回廊の先にある、普段では見過ごされる事の多い第二回廊に焦点を当ててみる事とする。
出典:『地球の歩き方ーアンコール・ワットとカンボジアーーー 2015〜2016年版』, 株式会社ダイヤモンド社,2015年,pp.23.
石を如何にして持ち上げたのか、詳しく見てみると、アンコール遺跡の主要な採石地はクーレン山南東麓であるという。さらに調べてみると、以下のような図の記載があった。
出典:下田一太(2014),「クメール建築の砂岩採石技法に関する考察」日本建築学会計画系論文集、第79巻,第705号,pp2544.
上の図ではクーレン山の南東麓、ベン・メアレア寺院の西側地域に東西約4.5km、南北約2kmにわたり多数の採石場跡が分布していることが分かる。
採石後に形を整えられた石は、その後に表面の穴に木材をはめ込められ、紐で括られる。そしておそらくテコの原理を応用したシャドゥフ方式を用いて数十キロの道のりを運搬したと考えられている。以下の写真は、運搬される石の様子と、テコの原理を応用したシャドゥフ方式を表している。
出典:ブログrecordより
出典:web site消前烈火より
上記の写真を引用したブログの筆者は、シャドゥフ方式を用いてエジプトのピラミッドの石材を運搬したと推測しており、それによると、横棒の右側の支点から1mの位置に2,500Kgの石をつるし、横棒の左側に支点から7mの位置にロープを取り付け、下から引く事で、10人いれば、1人36Kg程度の力で2,500Kgの石灰石のブロックを持ち上げる事が出来るという。
このように10人が1人36Kg程度の力で2,500Kgの石灰石のブロックを持ち上げることが出来るならば、大きな労働力となり、巨大な建造物の建設に役立ったことだろう。
これらの資料から、第二回廊の石の表面に見られた石穴は、このような技術のもとで開けられたものであることが分かった。
それを踏まえ、改めてアンコール・ワットを眺めると、古代の人々の石工技術の高さだけでなく、現在から七百年以上にも前に遡る古代人の生活様式にも想像力が膨らむ。
筆者である私も含め、多くの観光客にとって第二回廊は、第一回廊における壮大なレリーフの壁面と比べ、魅力を感じる人は少ないであろう。しかし、今回の記事を見て、第二回廊における床に注目してみては如何だろうか。
2016年12月30日
片桐亜耶